三重県桑名市は、桑名開発の祖である豪族・桑名首(くわなのおびと)の名に由来してその名がとられた街(諸説あり)。木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)の河口に立地し、平安時代より京都周辺と尾張以東との間の物資輸送中継点として、桑名藩11万石の城下町・港町として、東海道53次の42番目・桑名宿として賑わいました。明治中期から昭和初期までは江戸期の桑名米会所を引き継ぎ大阪堂島・東京蠣殻町・山口赤間関と並ぶ主要米穀取引所のあった場所でもあります。七里の渡し場跡の伊勢国一の鳥居は伊勢神宮式年遷宮毎に建て替えられ、ナガシマスパーランド等の観光名所が数多くあります。「その手は桑名の焼き蛤」を生んだ蛤料理でも知られ、安永餅・八壺豆(多度豆)・都饅頭等の名物菓子も多く、歴史と現代とが交錯する中に老舗の飲食店・和菓子店・食品店などが数多く点在しています。
1704年創業、武士の日記にも登場する とらや饅頭
桑名駅から徒歩15分ほどの場所、春日神社(桑名神社)の前にある とらや饅頭。1704年創業 (宝永元年)、東海道が出来てからおおよそ100年後に創業された、桑名で最も古い老舗の一つです。春日神社といえば、日本一やかましい祭りとして知られる、「国指定重要無形民俗文化財」に指定された石取祭りも有名。こちらもとらや饅頭さんの創業と同時期にスタートしたお祭りだそうですよ。ちなみに、三重県を代表する老舗 赤福が1707年創業ですので、三重県としてみてもかなり古いお店ですね(ただし、赤福も創業年が詳しくわからず、1707年を創業としているため、とらや饅頭のほうが確実に古いお店かどうかは分かっていません)。
とらや饅頭は、1800年代に桑名藩の下級武士の暮らしをつづった「桑名日記」、「柏崎日記」も登場する、当時から桑名を代表するお店。ただし、桑名市は戦災が酷かったうえ、伊勢湾台風の被害もあり、細かな歴史はもう残っていないそうです。
こちらが店舗外観。お正月に伺ったので、出店のような形で外でみたらしを焼かれていました。こちらの店舗は戦後に建てられたものだそうです。 こんな感じで焼いていらっしゃいました。少し遅い時間だったこともあり、代表銘菓である「とらや饅頭」は売り切れ。この時間帯は、みたらし団子の販売のみを行っていました。 いやー、焼き立てって更に美味しそうに見えますよね。
今回は3本購入。焼き立てのふわっふわで最高という言葉以外出てこない。
とらや饅頭は地元では、何かしらがあった時に使われるお饅頭で、桑名在住時年1度程度食べていました。漉し餡を酒素で作った薄皮で包み、蒸しあげた饅頭で、程よい甘さの高級感を感じるお饅頭なんです。今回は食べることが出来ませんでしたので、また次回お伺いの際に食べてみたいと思います。
——–とらや饅頭 基本情報———-
〇創業年 宝永元年創業 / 1704年創業
〇営業時間
8:00~19:00
※木曜日 定休日
〇住所
三重県桑名市本町54番地
(食べログ)⇒ とらや饅頭 – 西桑名/和菓子 [食べログ]