広島県廿日市(はつかいち)市は、昭和末期に旧佐伯郡廿日市町が市となり、平成中期に宮島町等を編入して現容となり、日本三景の一つで世界遺産の厳島神社(安芸の宮島)で知られています。鎌倉時代中期頃から年4回の厳島神社祭礼最終日の20日に(現市名の由来となる)“廿日の市”が立ち始めました。宮島地区は宮島細工・しゃもじ・もみじ饅頭で知られています。昭和後期以降は広島市の西のベッドタウンとしても発展してきた市内には、老舗の飲食店・和菓子店などが複数残っています。
1906年、元祖もみぢ饅頭で有名な高津堂
JR宮島口駅そばにある高津堂は、あのもみじ饅頭を生み出したお店として知られています。1906年創業の年に、初代の高津常助さんがもみじ饅頭を作られました。
看板にも元祖もみぢ饅頭と大きく書かれています。
他のもみじ饅頭屋さんと同じく、様々な餡が入ったもみじ饅頭を販売されています。
元祖のお店で購入したのは「元祖粒あん」。発売した当時の名前、「紅葉形焼饅頭」という名前がパッケージに刻まれています。
こちらが元祖を取り出した図。他のお店と比べると、やや小ぶりかな、という印象。複数食べたい派の私にとってはジャストサイズです。
元祖ならではで、発売当初使わていたデザインの印刷物も封入されていました。
伊藤博文が開発の父?であるもみじ饅頭
もみじ饅頭は伊藤博文の言葉から生まれた、という逸話が残っています。宮島にある老舗旅館 岩惣(今も宮島に現存しています!)に泊まっていた時に、紅葉谷近くのお茶屋で働く娘さんの手を見て、「この紅葉のような手を食べてしまいたい」と冗談を言ったそうです。
その上段を聞いた岩惣の仲居さんから話を聞いた、高津常助はもみじの葉の形をした饅頭作りをスタートし、明治39年についに発売となったそう。これが、今も続くもみじ饅頭の歴史の始まりと言われています。
(詳しくは、高津堂さんのウェブサイトをご覧ください)
高津堂の名物として、だけでなく、広島の名物となったもみじ饅頭ですが、実は高津堂さんは長い間販売を止めていらっしゃいました。というのも、2代目のご主人が経営されていた際に、納得いくものが作れなかったため発売を止めてしまっていました。
復活をしたのは2009年7月。現在のご主人である3代目の加藤宏明さん(初代の高津常助のお孫さん)が、「もう一度作ろう」と決心をされ、半年間の試行錯誤の末、販売にこぎつけたとのことです。
そんな高津堂さんには、冷やしもみぢ、という珍しいもみぢ饅頭を販売されています。名前の通りキンキンに冷やしたもみじ饅頭です。
せっかくの機会ですから1つ購入致しました。キットカット添えバージョンです。
こんな感じでキットカットがドカンと載っています。
別カットはこちら。生地の間には、チョコとクリームが挟まっており、もみじ饅頭というよりも、ケーキを食べているような感覚です。ちょっと甘めですが、美味しかったです。
一度はもみじ饅頭の販売をやめてしまっていた高津堂さんですが、今では再度もみじ饅頭をメインに販売されていて、新しい味を次々と開発されています。宮島へ寄る際に、元祖もみぢ饅頭を片手にフェリーに乗ってみるのも良いかもしれません。
———高津堂 基本情報———-
〇創業年 1906年創業 / 明治39年創業
〇営業時間
8:00~19:00(無休)
〇住所
広島県廿日市市宮島口西2丁目6-25
(公式サイト)⇒ 元祖もみぢ饅頭の高津堂 | 実はあの「もみじ饅頭」の元祖ですv(^^)
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