江戸時代には後に浅草裏手に移転するまでは吉原遊郭があり、その後は浅草に芝居小屋が集められるまで歌舞伎の中村座・市村座や人形芝居の結城座などがあった中央区日本橋人形町。人形を制作・販売する店が並び、人形遣いが多く住んでいたことが地名の由来だといわれています。永らく芳町花街として栄えてきた一帯には老舗が多く残っており、人形町通りや甘酒横丁を中心に老舗の飲食店や和菓子店や食品店などが連なっています。
1917年創業、人形焼とゼイタク煎餅で知られる 重盛永信堂
水天宮駅出てすぐ、人形町駅から徒歩2分ほどの場所にある 重盛永信堂。長野県 伊那から上京した初代となる重盛永治氏が煎餅屋で12年の修行の後に、1917年(大正6年)に人形町に創業したお店となります。現在の場所には昭和初期に移られたのだとか。
こちらが店舗外観。水天宮の交差点にあるかなり広い店舗。2大看板のゼイタク煎餅と、人形焼をアピール。
ディスプレイは場所によってゼイタク煎餅を置いているスペースと、人形焼を置いているスペースに分かれていました。こちらはゼイタク煎餅スペース。
看板メニューが2つある以上両方買うしかないですよね。で、こちらが人形焼。人形焼の起源は諸説ありますが、重盛永信堂さんの近くにある1907年創業の板倉屋さんが元祖を主張されています。人形町の名物になるお菓子を開発したどり着いたのだとか。ちなみに人形町という名前は、
・江戸時代、人形町周辺には歌舞伎小屋の中村屋と市村座があり、
歓楽街として栄えていた(庶民の娯楽、浄瑠璃や人形芝居もあった)。
・その需要に伴い、人形町付近に多くの人形師が住み始めた。
・その頃から、通りの名が人形町通りと呼ばれるようになった
(正式に町名が人形町となったのは昭和八年から)
という由来があるそう。
と、前段が長くなりましたが、重盛永信堂さんの人形焼きはこんな感じです。フワフワしていて美味しい。
そしてゼイタク煎餅も買いました。こんな感じの袋入り。 中身はこんな感じ。少し柔らかめの瓦せんべいといった感じで、口当たりの優しいクッキーのような味。卵と砂糖が贅沢品だった時代に、その二つをたっぷりと使ったお煎餅だったことから、ゼイタク煎餅という名前になったのだそう。
重盛永信堂さんのお菓子は、どちらも昔ながら、がピッタリの味なんですけれど、いつ伺っても物凄い込み具合で、水天宮・人形町界隈訪問時のお土産スポットとして定番化しているのが良く理解できました。人形焼もゼイタク煎餅も華美な味ではないんですけれど、昔の日本の風景が蘇るような懐かしい味で、ついつい手が伸びてしまいます。こういう風景と味、残り続けて欲しいですね。
—— 重盛永信堂 基本情報———-
〇創業年 1917年創業 / 大正6年創業
〇営業時間
[月~金] 9:00~20:00
[土] 9:00~18:00
※日曜・祝日 定休日
〇住所
東京都中央区日本橋人形町2-1-1 重盛永信堂ビル 1F
(公式サイト)⇒ 人形焼・ゼイタク煎餅 | 重盛永信堂