江戸時代に明暦大火で焼失した浅草西本願寺の代替地(現、築地本願寺)として佃島住人が埋め立てて出来た中央区築地。永らく海軍用地として使用され、その跡地には昭和初期に日本橋から魚河岸が移転し、世界一の魚市場と知られるまでになりました。魚市場が豊洲に移った現在も、場外市場等は多くの買物客や外国人などの観光客で賑わっており、老舗の飲食店なども数多く点在しています。
1899年創業、更科堀井からの初めての暖簾分け支店 さらしなの里
築地駅から徒歩2分、東銀座駅から徒歩11分程の場所にある さらしなの里。1899年(明治2年)に、1789年創業(寛政元年)の麻布永坂 更科 (現、更科堀井)から初めて暖簾分けを許された支店で、赤塚善次郎氏によって”麻布永坂更科支店布屋善次郎”として深川佐賀町にて創業されました。現在の名前は”さらしなの里”は、戦後店舗を復活させた際につけられた名前となります。
ちなみに更科系列の暖簾分けには、分店と支店のふた通りがあり、分店が本家の系列の方がオープンした場合を指し、支店は本系以外の方による暖簾分けを指しています。ちなみに初めての分店は1869年創業の神田錦町更科となります。
更科、といえばご存知の通り蕎麦御三家と呼ばれる、「藪」、「砂場」、「更科」の一つとなります。大阪ルーツの砂場、江戸ルーツの藪蕎麦、に対して、更科は長野ルーツのお蕎麦。一番粉を使う、白く高級感なあるお蕎麦であることが特徴です。
と、前置きが長くなりましたがこちらが店舗外観となります。現在の場所での営業は2003年からとなります。
店舗の外には看板も。英語メニューあり、と書いてあるのは場所柄でしょうか。築地場外は未だに外国人観光客の方、多いですからね。
こちらがメニュー。更科らしく変わり蕎麦があるのが特徴です。更科のお蕎麦は白いので、季節の素材を合わせた変わり蕎麦を出されているお店が多いんでです。
裏側にもニューがびっしり。蕎麦も天ぷらも沢山の種類があって嬉しいですね。
今回は小せいろ三色天もりをオーダー。小せいろが3つ出てきます。1つ目は更科蕎麦が運ばれてきます。二つ目は変わり蕎麦。色が見えづらいかもですが、こちらは6月のレモン切り。爽やかな香りが夏っぽい! 最後に普通の田舎蕎麦が出てきます。更科と比べると、かなりグレーな色が強いですね。更科と比べて蕎麦の香りが強くって〆に最適!
天ぷらはこんな感じ。カラッと揚がってて美味い。
店舗の出口には大正時代、神楽坂にあった店舗のお写真が飾られていました。さらしなの里さんは、深川で創業 → 神楽坂へ移転 → 戦後、銀座へ移転 → 築地へ移転とお店を移られてきています。
さらしなの里さんで食べた、小せいろ三色天もりは、3種類の超美味しい蕎麦が少しずつ食べられて、さらにちょうど良い天ぷらが付いていて、蕎麦好きにはたまらないメニューでした。鉄板の更科蕎麦と、田舎そば、そこに季節の変わり蕎麦が出てくるって、最高以外の言葉がないですよね。蕎麦好きの皆様、ぜひ行ってみてください!
——-さらしなの里 基本情報———-
〇創業年 1899年創業 / 明治32年創業
〇営業時間
※日曜・祝日 定休日
〇住所
東京都中央区築地3-3-9
(公式サイト) ⇒ 築地さらしなの里|築地駅から徒歩1分の手打ちそば処
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