日本ばし大増の、銀だら幕之内 / 東京 荒川区西尾久 1900年 (明治33年)

荒川区最西端で隅田川南岸の西尾久は、1889年(明治22年)発足の尾久村が1923年(大正12年)に北豊島郡尾久町となり、1932年(昭和7年)の同郡南千住町・三河島町・日暮里町との合併で荒川区が発足後に西尾久町・東尾久町に分かれ、現在は西尾久一~八丁目となっています。地名は古くは“おうぐ(小具/越具/奥)”と称され、豊島郡の奥あるいは江戸北限の隅田川を背にしていることから“江戸の奥”由来説もありますが不詳です。大正期から昭和後期位までは尾久三業地(現・西尾久二丁目付近)が栄え、1936年(昭和11年)の阿部定事件で知られています。唯一残る都電の荒川線が走り東京都交通局荒川電車営業所(荒川車庫前駅)が立地し、1922年(大正11年)開業で1950年(昭和25年)に区営となった隅田川に面する区立あらかわ遊園は東京23区内唯一の公営遊園地です。町内には老舗の飲食店・和菓子店・食品会社などが残っています。

1900年創業、鮮魚仲買商として始まった 日本ばし大増 (だいます)

荒川車庫前駅から徒歩2分ほど、尾久駅から徒歩6分ほどの場所にある 日本ばし大増。1900年(明治33年)に高村増太郎氏が旧日本橋区長浜町で鮮魚仲買商・大増を立ち上げたことが始まりです。店名は増太郎氏が若い頃修業していた、大力商店の”大”と、自身の名前・増太郎から付けたそうです。そんな大増さんは、1988年(昭和63年)に創業された日食販売株式会社(後に日本食堂調理センター→日本レストラン調理センターと改名)と合併し、株式会社NRE大増となり、2018年(平成30年)に現在の社名である株式会社日本ばし大増へと変更されています。

という日本ばし大増さんは、JR東日本フーズ傘下にあるため、東京駅での販売に力を入れられています。今回も東京駅で銀だら幕之内を購入しました。

銀だら、煮物、玉子焼き、昆布の佃煮といったクラシックなお弁当です。

銀だらをアップでどうぞ。冷たくなっても柔らかさがキープされてて、めっちゃ美味しかった…!

こちらはご飯サイド。佃煮好きとしては、こうやって切り昆布おいてもらえるの超嬉しい。

日本ばし大増さんは、合併前のNRE系列で造られていたお弁当(チキン弁当、深川めし等)と、和食店であった旧・大増さんの流れで作られているお弁当の二系列あります。今回のはどちらかというと旧・大増さんの流れを組むお弁当となるのでしょうか。NRE系列のチキン弁当も長らく食べていないので、今度チャンスがあれば買ってみます。

———日本ばし大増 基本情報———-
〇創業年 1900年 / 明治33年創業
〇営業時間
・本社機能のため割愛
〇住所
東京都荒川区西尾久7-48-1
(公式サイト)⇒日本ばし大増 | 粋な江戸味、匠の技。

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