都内唯一のあんこう料理店 いせ源で、最高のあんこう鍋を食べる / 東京 神田須田町 1830年創業 (天保元年)

千代田区神田須田町は、元々は神田川沿いの砂州に開かれた農地の洲田に由来します。江戸時代から神田川・日本橋川などの運河に挟まれた交通の要所で、明治以降も昭和後期頃までは日本橋・上野方面への都電(旧東京市電、路面電車)ターミナルとして賑わい、大正初年には赤煉瓦造りの万世橋駅(平成中期までは跡地が交通博物館)が中央線(旧甲武電車)の起点として開通して発展し、昭和中期~後期頃までは国内有数の羅紗(毛織物の一種)屋の町でした。また神田須田町から神田淡路町辺りにかけては、江戸時代から大正末期までは「連尺」職人が多く住んでいたことに由来する旧連雀町でしたが、昭和の大戦での戦災を免れて「奇跡のトライアングル」とも「味の三角地帯」とも称される一郭に大正末期から昭和初期の建造物が散見され、老舗の飲食店・食品店・商店などが数多く残っています。

1830年創業、どじょう料理屋としてスタートし、あんこう専門店となった いせ源

神田駅・秋葉原駅から徒歩5分程度、小川町・淡路町駅から徒歩2分ほどの場所にある いせ源。1830年(天保元年)に、現在の京橋三丁目付近で、どじょう屋「いせ庄」として創業されました。2代目のご主人源四郎氏の時代に須田町に移転し、いせ庄の「いせ」と源四郎の「源」を取り「いせ源」と屋号を代えられました。
当初はどじょう屋から始まり、様々な鍋料理を提供するようになったそう。そんないせ源さんで、特に人気であったのが「あんこう鍋」。そのため、4代目の方の時代、大正時代に、今の形であるあんこう料理専門店になられたそうです(詳しくはいせ源さんの歴史ページをご覧ください)。

という、いせ源さんの外観はこちら。関東大震災で焼失も、昭和5年に建て直し、東京都選定歴史的建造物に選定された由緒ある建物なんです。まずは夜にお伺いした時の様子から。
いやー、素敵だ。
店頭にはアンコウがおります。こちらは青森産。店内に入ります。2階席へ案内されました。こちらは上から撮った写真です。4人でお伺いしました。いやー、楽しみ…!

まずは前菜っぽい3品が出て来ます。いきなり戦闘力高いですね。

そして、煮凝りが出て来ました。ネギの色味合わせての美しさが。

あん肝も出て来ます。漁師さんに思わずありがとう、と言いたくなりました。

ここからメインイベントあんこう鍋です。何度食べても最高のやつです。ほんとめっちゃ美味しい…!

途中唐揚げも出て来ました。これもまたなんとも言えない美味しさですよね。

その後、おじや作りが始まります。

卵を入れて、ネギをがつんといれて完成です。

写真だけで、ご飯食べられそうなぐらい好きです。ご馳走さまでした…!

ここからは2019年にお伺いしたお昼の様子です。 こんな大きな暖簾が目印です。正面玄関の写真。なんか昔ながらの良い旅館に来たような気分になりますね。 今回は2階席に通して頂いたので、階段を上って席へ。 広いお部屋に、それぞれ鍋用のコンロが設置してありました。コンロに乗せるのはもちろん”あんこう鍋”です。
今回はランチタイムに伺いました。ランチでももちろん”あんこう鍋”があります!1人前3500円!まずは前菜。春に伺ったので、筍と菜の花でした。 で、出てきました。これが”あんこう鍋”です。美味しそう過ぎません? あん肝とあんこうの身から食べました。あん肝のねっとり感も最高だし、あんこうの身も最高に美味しいし、簡単にまとめると最高ですね(最高が渋滞気味w)。最後におじやにして食べました。昼からこんな贅沢しててよいのかなw。

最初にランチにお伺いし、その後夜に何度かお伺いしています。何名かで伺って食べる夜のコースも美味しいし、美味しさ独り占めできるランチタイムも甲乙つけ難いです。人を連れてくたびに、「あんこうこんなに美味しいなんて知らなかった!」って言葉をもらいます。鍋はもちろんのこと、あんきも、からあげ、煮凝り、全部めちゃくちゃ美味しいんですよね。日本の冬の味として、毎シーズン食べたいぐらい大好きです。

——- いせ源 基本情報———-
〇創業年  1830年創業 / 天保元年創業
〇営業時間
11:30~14:00(L.O.13:30)
17:00~22:00(L.O.21:00)
※土日祝は通し営業。無休
〇住所
東京都千代田区神田須田町1-11-1
(公式サイト)⇒ いせ源 都内唯一軒のあんこう料理専門店

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