広島市の西半分を占める広島市西区は、古くからの住宅地で、その間に寺社が点在。江戸時代に盛んだった“たたら製鉄”以来の伝統で国内製針の9割を占める広島針(手縫い針)で知られています。広島市中央卸売市場や広島市西部物流センター(通称商工センター)が立地する一方で自然散策コースもある区内には、老舗の飲食店・和菓子店・食品店が複数残っています。
1918年創業、平安の地の京都御所の庭 梅坪から名を取った 平安堂梅坪
広島駅から車で20分強、電車(新井口駅)と徒歩で25分強の場所にある商工センター。工業団地とも呼ばれるこの場所に、広島の様々なメーカーが、本社・及び工場をこの場所に移転させています。1918年(大正7年)創業の、平安堂梅坪さんもそのうち一つ。
元々は、柿羊羹の製造本舗である「平安堂」として創業され、昭和30年に、和菓子小売部門である「梅坪」を新設。その後、昭和37年に同じ平安の都を源流とする2つの屋号を合わせ「平安堂梅坪」と、現在の名前となりした(平安堂梅坪さんのウェブサイトより抜粋)。
今回は本店併設店に伺いました。工場の一角に、販売スペースが併設されているような感じです。
中に入ると看板も。いい具合に年季が入っていますね。
でぃうプレイには、100周年記念で発売されたカープ缶入りバターケーキや、笑鯉饅頭も。気になるんですが、今回買いたいものがあるので、残念ながらパス。 購入したものその1。平安堂梅坪さんといえば、の、「吾作饅頭」です。約60年前に発売を開始し、「ザ・広島ブランド 味わいの一品」にも選ばれている銘菓で、第26回全国菓子大博覧会・広島で「名誉総裁賞」も受賞されています。 中身はこんな感じ。胡桃が良いアクセントになった、薄皮饅頭です。幾つでも食べられそうな、軽い口当たり。好きだなぁ、このお饅頭。 もう一つ購入したのは、キャラメルもみじ。ご存知もみじ饅頭なんですが、森永のキャラメルソースを使用しているのが売りなんです。 開けてみるとこんな感じ。まあ、もみじ饅頭ですねw。 割ってみるとこんな感じ。餡子の中にキャラメルソースが練り込んであります。甘さは思ったより控えめで良い感じ。
今回せっかくなので本社へ行こう、と、ぼちぼちアクセスの悪い商工センターへ伺ってきました。が、平安堂 梅坪さん自体は、広島市内に10店舗以上構えられていますので、お近くの店舗へ伺われるのが良いかと思います。商工センターは、オタフクソースさん、脇田食品さんなどなど、沢山の本社がありますので、本社マニアの方には、商工センター訪問をお勧めします(僕以外にいるのだろうか…)。
———平安堂 梅坪 基本情報———-
〇創業年 大正7年 / 1918年創業
〇営業時間
8:00~17:00
※1月1日・2日 定休日
〇住所
広島県広島市西区商工センター7-1-19
(公式サイト)⇒平安堂梅坪
<雑感あれこれ>
・誠に失礼であるのを承知の上、些末で余計な事を申し上げて恐縮乍ら、他の記事でも良く見かける “何件ものお店” の表記についてですが、項目数等なら “件” でしょうけれども、店や建物の数なら “軒” の方が良いかと愚考致す次第です。
・老舗の継続・継承は艱難辛苦を乗り越えた波乱万丈の歴史の上に成り立っているのですから、殊に飲食関係は明治・大正期から続いているだけでも実に偉大な事績だと私は思っています。それが江戸期から或いはそれ以前から続いているならば驚天動地の沙汰であります。1600~1700年代位の創業店は全国にかなり在る模様ですし、実訪問には意志・努力・時間・機会・費用等が並大抵の事ではないでしょうが、どうぞ焦らずじっくり構えて最高の老舗事典を創り上げていって戴きたく存じます。
・いつか是非、日本最古の菓子店・飲食店と聞き及ぶ、京都の今宮神社旧参道に在って、平安期の紀元1000年創業の、あぶり餅一筋で続いてきた一文字屋和輔(或いは一文字屋和助、又はあぶり餅 一和)を掲載して下さい。然も、参道を挟んで、元祖を名乗る一文字屋に対抗するように、創業400年の あぶり餅本家 根元かざりや もありますので、双方食べ較べと云う趣向で如何でしょうか。どちらも美味いですし好み次第ですが、私は、砂糖甘い味噌味が割合苦手の方なので、甘めが若干薄目で味噌味が強めの かざりや の方が食べ易かったです。
・何件 → 何軒は、その通りですね。全く気が付いておりませんでした…。明日以降順次直します。
この種のご指摘は、サイトをよりよくするため、本当にありがたいです。ですので、是非引き続きよろしくお願い致します!
・どのような老舗に行くか、は実は結構悩んでいるポイントです。
当初は、何かの元祖を出された由緒あるお店や、料亭的なところを回ろうと計画をしていたのですが、
途中忙しくなり身近な場所を増やした結果、たまたまですが閉店する店舗に出会いました。
東大前の、関東炊の元祖とも言われる呑喜さんです。
呑喜さんの閉店を知り、その後色々傾向を考えてみたところ、
・歴史が長い由緒あるお店ほど、つぶれにくい
・一方で大衆店ほどつぶれやすい(価格が安いから、継ぎたい人が現われづらい?)
特に明治・大正期創業のお店に顕著
という傾向が見えてきまして、そこを先に行くべきなのではないか、という思いに駆られています。
訪問後閉店した、早稲田の三朝庵さん(ここは江戸創業ですが)、浅草の入山煎餅、渋谷の朝日屋等々もそんな感じで。
(間に合わなかったですが、杉並のパン屋さん、鹿児島の居酒屋さんも明治・大正期でした)
最近行った上野の好養軒さんも、「うちは継ぐ人いないから、100年までやったら終わりにするんだよ」と仰っていました。
ですので、意識的に無くなってしまいそうで不安なお店の訪問を増やしていたんですけれど、訪問記を上げていくうちに、
「あまり知られていない店舗比率が高過ぎて、バランス取れてないな」という気持ちにもなってきました。
先月老舗すき焼きやが増えたのは、そういう事情から、バランスを取るための訪問でした。
現状の方針としては、アーカイブしておかないと消えしまうかもしれないお店を中心としつつも、
もう少し知られた老舗訪問比率を上げていこう、と考えているところです。
特に薄い1700より前は重点的に攻めたいなぁ、とは思っています。
教えて頂いた、京都の一文字屋和輔なんて素敵そうですもんね。
夏ごろぐらいにはなるかもしれませんが、京都訪問の際に必ず行きたいと思います。
・閉店話が続いたので、入山煎餅さんのお話を。
一昨日に入山煎餅さんの向かいにある、寿司初さんへ伺ったところ、
私の近くに座られていた着物の女性が、
「閉店した入山さんの職人をウチで預かったのよ」
とお話されているのを耳にしました。
詳細はわかりませんでしたが、閉店後も続くストーリーに触れられて、少し嬉しくなりました。
そういったことも、書き残していけると素敵なのかもなぁ、なんて思います。
・東京ならば、1700年以前で江戸期創業の著名店と云えば、京都から親王(輪王寺宮)のお供で東下りして、以降は文人墨客等に広く贔屓されてきた台東区根岸の豆富料理「根ぎし 笹乃雪」や、落語「王子の狐」で知られる北区岸町(王子駅最寄り)の釜焼玉子・厚焼玉子「扇屋」がありますね。
・飲食店ではないですが、元禄初年創業では、永代橋東詰(江東区佐賀)に「ちくま味噌」(元・乳熊屋作兵衛商店)があって、「駒形どぜう」でも使っている伝統の江戸甘味噌始め各種味噌を扱っています。但し、私は通りすがりに同社の前に設置されている碑で様々な故事来歴を読んだ事があるだけですが、そこには販売店舗は無い模様で、調べてはいませんが、どうやら取り寄せとか通販とかでの入手になるみたいですけれども。ところで此処は、歌舞伎の科白で知られていたり、幕末に勝や西郷との縁もあるなど、碑にも書いてありましたが様々な逸話を持っていて、特に知られているのは、赤穂浪士が討入りから永代橋を渡って泉岳寺に向かう途次に、俳諧で宝井其角同門下の店主と大高源吾との縁から、此処で甘酒粥を振舞って一躍江戸名所になった一事でしょう。
・実は前述の「笹乃雪」にも赤穂浪士との縁があって、それは討入り後に大名家お預けとなった中で細川家預けの大石内蔵助等に上野輪王寺宮から此処の豆富が届けられたと云う逸話です。このように流石に歴史があるだけに、老舗には土地や人などに関して様々な因縁や故事来歴がありますので、あまり江戸期以前に拘らないで、明治大正であっても、又、地方や在郷の広くは知られていない店であっても、逸話を始め色々な飾り付けをするなどの厚みを付けて、単なる薄っぺらな店舗紹介やグルメガイドではない一味違う老舗事典にされる事を願うものです。
お返事遅れました!
「根ぎし 笹乃雪」、「扇屋」、「ちくま味噌」は全部未訪問のため、今年度中には行きたいなぁ、と思っています。
扇屋さんはお伺いはしたのですが、その日は営業開始時間が遅れてしまった日で購入が出来なかったのですよね…。
たんなる店舗紹介に留まらない、にしたい気持ちはあるのですが、そこは紹介件数との兼ね合いで中々実現が出来ておりません。
現状一件一件を掘るよりも、幅広くリスト化する、に重きを置いてしまっています。
とはいえ、リストを作っても読み物として面白くなければダメも理解していますので、
そこは出来る限りのバランスを、とは思っているのですが、中々難しいですね…。
今できることとしては、歴史や逸話が分かるところは掲載しつつも、分からない場所についてはどうしても薄くなってしまいます。
が、全てをベストを尽くせない中でいうと、掲載量に重きをおいて、リッチに書けるお店を出来る限り増やしていく、で、行きたいと思っています!