吾輩は猫であるに登場する羽二重団子 / 東京 日暮里 1819年創業 (文政2年)

荒川区の日暮里は、かつて新堀(にいほり)と呼ばれていました。江戸時代の享保(1716~1736年)頃から“一日中過ごしても飽きない里”の意味で“日暮里(にっぽり、日暮らしの里)”の字が当てられるようになり、1749年(寛延2年)に正式地名となりました。明治~大正に日暮里村から日暮里町となり、今は東日暮里と西日暮里に分かれ、町工場・商店・住宅・寺社等が混在しています。JR日暮里駅(荒川区西日暮里)東側の東日暮里には生地・繊維・服飾関係の様々な店舗が連なる“日暮里繊維街が“日暮里カジュアル・通称ニポカジ”として知られており、駅西側の西日暮里は、昔ながらの商店街・“谷中ぎんざ”や谷中霊園・寺町などが人気の“谷根千地区(台東区の谷中・文京区の根津・千駄木)”の谷中に繋がり、東西両町にも老舗の飲食店・和菓子店が存続しています。

1819年創業、夏目漱石作品に登場する羽二重団子

日暮里駅から徒歩4分ほどの場所にある 羽二重団子。1819年(文政2年)に、初代となる庄五郎氏が、芋坂の現在地に藤の木茶屋を開業し団子を提供したことが始まりです。その団子がきめ細かく「羽二重のようだ」と称賛され、そのまま団子の名称となり、いつしか商号も羽二重団子となったそうです。2019年、200周年でリニューアルされた店舗にお伺いしました。

こちら店舗の外にある王子街道の石碑と、団子の由来の看板があります。看板は見えづらいので、アップを下に載せています。

こちらが看板のアップ。上述した藤の木茶屋さんとして始まって、というったストーリーが書かれています。

こちらが店舗外観です。持ち帰り用がメインですが、イートインスペースもありますよ。 こちらが持ち帰り用の団子。やばい、めっちゃ美味しそうだ。

正岡子規の句入りのオリジナル定規も販売されいました。中々エッジの効いた商品ですよね。 こちらが店内用の飲食メニューです。羽二重だんごの煎茶付き or 抹茶セットが選べます。だんごの串の数を増やすことも出来ますよ。
文豪が好んだ一皿として、子規セット、漱石セット、天心セットが販売されています。 今回はシンプルな煎茶セットをチョイス。餡と醤油のセット、最高に良いですね。 団子をアップで。甘いとしょっぱいで無限に食べ続けられます。やわやわな食感も最高に素敵…! 店内の展示物を少し紹介です。左は正岡子規の直筆のコピー。芋坂に名物の…とあるのが、羽二重団子さんのお話ですね。右側は吾輩は猫であるで、「芋坂へ行って団子を食いましょうか」と出てくるのが羽二重団子さんですね。
創業以来紹介されたものや使っていた道具等も掲示されています。
こちらは大江戸趣味風流名物くらべという、維新から明治初めまでの東京名物を掲載した雑誌的なものに、羽二重団子さんも掲載されていたそうです。

で、ここからは駅前の店舗・HABUTAE1819 羽二重団子 日暮里駅前店さんの訪問記です。2018年、本店改装中にお伺いしています。
この時はイートインでなく、餡と醤油のセットを購入しています。中身はこんな感じ。左の餡の団子は昔ながらのあまーいお団子で、羽二重と称されたキメの細やかさに感動します。そして右が醤油味の焼き団子。こちらが焼き立てでないにも関わらずふわっふわで、老舗のクオリティに感動しました。 羽二重団子の由来が、簡単にまとめられた紙も封入されていました。この辺りは粋で風雅な住宅街、という印象があったそう。今とは少し異なる街の印象だったのかもしれません(今はどちらかというと下町の印象が近いかと)。 せっかくなのでパンフレットも頂いてきました。ここに書かれている情報を読みながら食べると一層美味しく感じられると、個人的に思っています。

パンフレットにも吾輩は猫であるの一節が。正岡子規に愛されていたことも記載されていますね。

羽二重団子さん、一見何の変哲もないお団子に見えるものの、食感から味が抜群に素晴らしく、これぞ老舗の逸品だよね!と感じられます。店内も、お土産もどっちも最高に素敵です。甘いのとしょっぱいの、永遠に食べ続けられそうなのが怖いですが、また行きたいなぁ。

———羽二重団子 基本情報———-
〇創業年 文政2年 / 1819年創業
〇営業時間
・9:30〜16:30
※年中無休
〇住所
東京都荒川区東日暮里5-54-3
(公式サイト)⇒羽二重団子

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