鹿児島名物、明石屋の軽羹 (かるかん) / 鹿児島 鹿児島市 1854年創業 (安政元年)

江戸時代、島津氏の薩摩藩城下町として栄えた鹿児島市。1540年(天文18年)にフランシスコ・ザビエルが上陸した日本のキリスト教初伝来地で、江戸時代末期には第28代島津斉彬による集成館事業により反射炉・溶鉱炉等が建造された日本の近代工業化発祥地とも言われています。鹿児島湾(錦江湾)西岸市街地から桜島を望む景観により“東洋のナポリ”と称され、鹿児島城(鶴丸城)・城山公園・仙巌園(磯庭園)・尚古集成館・照国神社等の旧跡や山形屋鹿児島本店等の歴史的近代建築物など観光名所も多数存在します。つけあげ(薩摩揚)・薩摩汁・壺漬・酒寿司・鶏飯・黒豚や地鶏やきびなご等の料理・かるかん・あくまき両棒(じゃんぼ)餅等の薩摩・奄美の郷土食品・料理・菓子なども豊富で、市内には老舗の飲食店・和菓子店・食品店が多数残っています。

1854年創業、鹿児島銘菓 軽羹(かるかん)が名物の明石家

鹿児島市電の朝日通電停から徒歩2分ほど、鹿児島を代表する大通り朝日通に目面した場所にある明石家。創業は1854年創業 (安政元年)で、薩摩藩主島津斉彬公が、江戸の風月堂主人の推薦をうけ、八島(明石)六兵衛翁を鹿児島に招き入れました。播州明石出身であった彼は屋号を明石屋としてビジネスをスタートし、現在に至るそうです。

こちらが店舗外観。私の写真では中々サイズが伝えきれないのですが、物凄く大きなお店です。

ディスプレイも凄く横長です。商品の大半は明石家名物の軽羹です!

軽羹は、九州地方に食べられる砂糖、かるかん粉(米粉の一種)、山芋、水を用いて作られる棹菓子(さおがし)の一種。羊羹や外郎のように、長い直方体や、円筒形上に作ったものを切り分けて食べるお菓子です。

こちらがクラッシックな軽羹。今は中に餡が入っている軽羹まんじゅうがメジャーになりつつありますが、元々はこの軽羹がオリジナルです。開けるとこんな感じ。お店の人曰く、「昔ながらのファンは、軽羹そのものの味が楽しめる、こちらの素の軽羹を買われる方が多いんですよ」とのこと。このほのかな甘さ、堪らないなぁ。甘さの奥に感じられる山芋の香りも凄く好き。お饅頭のほうも勿論購入。苦いお茶と合わせるなら、こちらの餡子入りかな。

軽羹を数十年ぶりに食べたのですが、このほのかな甘さ、堪らないですね。昔食べた時は、味の薄いお菓子と感じてしまったのですが、触感も甘さも、名前の通り軽めで繊細で、とってもいいお菓子を食べている気分になりました。
軽羹なのか軽羹まんじゅうなのか、は好みの問題ではありますが、軽羹自体のおいしさを味わうのであれば、お店の人がおっしゃる通り、素の軽羹を買われるほうがよいな、と個人的には思いました。

———明石家 基本情報———-
〇創業年 安政元年 / 1854年創業
〇営業時間
9:00~19:00
※無休
〇住所
鹿児島県鹿児島市金生町4-16
(公式サイト)⇒鹿児島土産にかるかん・かるかん饅頭を|御菓子司 明石屋

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