日本で2番目に古い蕎麦屋・越前屋さんで、盛そば&五平もち / 長野 木曽郡上松町 1624年創業 (寛永元年)

長野県南西部の木曽郡は、江戸時代は尾張藩領で、1879年(明治12年)の旧・西筑摩郡発足時は松本市・塩尻市・岐阜県中津川市各一部を含んでおり、1968年(昭和43年)に現郡名に改称されました。現在は木曽町・南木曽町・上松町・木祖村・王滝村・大桑村の3町3村が属しています。木曽の語源は岸・磯・砂(いさ)転訛ともいわれ、美濃の奥なので奥十山/奥礒山(おきそやま)の転訛説・シナノキ(信濃の語源説)樹皮の織糸から木の曽(曽は麻の古語)説等があります。郡中央部の上松町は、1889年に西筑摩郡上松村等3村が合併した駒ケ根村が1922年に改称して現町となりました。四方を山で囲まれた山間地帯で東側に木曽駒ケ岳がそびえ、中央を木曽川が流れて“寝覚の床”等の景勝地があります。木曽檜まな板・檜箸等が特産品で、山女甘露煮・五平餅等が郷土食です。

1624年創業、日本で2番目に古い蕎麦屋 越前屋

中山道ねざめのバス停から徒歩2分、上松駅から徒歩23分・車で5分ほどの場所にある 越前屋。1624年(寛永元年)に旧中山道沿いに創業された、日本で2番目に古い蕎麦屋さんです。最も古いのは京都にある1465年創業・尾張屋さんで、どちらも相当古いですね。
越前屋さんはその長い歴史の中で、松尾芭蕉、喜多川歌麿、十返舎一九、大岡越前、井伊直弼、岡本一平、前田青邨等が訪れたとされ、十返舎一九の木曽街道中膝栗毛・ 続膝栗毛や、島崎藤村の夜明け前の作中にも登場します。元のお店がある旧中山道沿いには大正期に建て替えられた旅館が残り、お蕎麦屋さんは現中山道沿いに移転されています。

という、越前屋さんの外観。浦島太郎の長寿にちなんで「寿命そば」と名付けられたそうです。

看板がこちら。創業 寛永元年の文字が眩しい。

お店の中に入りました。ちょうどお客さんが掃けたタイミングだったので中身を1枚。いやぁ、渋くてよいですね。

こちら店内に飾られていた木曽街道中膝栗毛の絵。越前屋、の文字が見えますね。

こちら亀の像。何か聞き忘れましたが、寿命そばの元ネタである浦島太郎関連のものですかね(越前屋さん近くの臨川宝物館に浦島太郎が愛用したとされる釣竿が飾られております)。

ということで、おしながき、です。

こちらお蕎麦のメニューです。右側にセットが載っていますが、今回は五平もちとのセットをチョイス。

英語のメニューもありました。こんな山奥まで観光客がやってくるのがすごい!

ということでやってきました、盛そば&五平もちのセットです。

お蕎麦は更科っぽい白さ。創業当時からこの白さが特徴だそうですよ。

このポテサラも良かったなぁ。

そして五平もち。こういう丸型、初めてだ。くるみの味噌、最高に美味しい!

今回面白博物館本を出版した知の冒険の中の人と東京から車で岐阜県中津川市、そして長野県木曽郡を回った時の記録となります。越前屋さん、公共交通機関では東京からかなり行きづらい箇所にあるため、車で出掛けられて助かりました。という、やや辺鄙(?)な場所にも関わらず、過去著名人が凄くたくさん訪れている越前屋さん。中山道沿いにあったから、が答えだと思うのですが、江戸時代にここまで江戸から歩いて来た人々が沢山いた、という事実に驚きます。江戸五街道、いつか歩いてみたいなぁ。

———越前屋 基本情報———-
〇創業年 1624年創業 / 寛永元年創業
〇営業時間
・平日10:30~17:00
・土日10:30~17:30
・冬季土日10:30~18:00
※木曜日 定休日
〇住所
長野県木曽郡上松町大字小川見帰2379
(公式サイト)⇒木曽街道名物 手打・寿命そば//越前屋

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