南部せんべい最古・川越せんべい店のごませんべい・バターせんべい / 青森 上北郡おいらせ町 1873年創業 (明治6年)
青森県東部で本州最北端部である下北半島の基部から中部にかけての上北(かみきた)郡は、1878年(明治11年)に…
続きを読む →青森県東部で本州最北端部である下北半島の基部から中部にかけての上北(かみきた)郡は、1878年(明治11年)に旧・北郡を南(上北)・北(下北)に2分して行政区画郡として発足し、当時は三沢市・十和田市も含んでいましたが、現在は野辺地町(のへじまち)・七戸町(しちのへまち)・六戸町(ろくのへまち)・横浜町(よこはままち)・東北町(とうほくまち)・おいらせ町(おいらせちょう)・六ヶ所村(ろっかしょむら)の6町1村が属しています。江戸時代は南部氏統治の陸奥盛岡藩・陸奥七戸藩領でした。下北半島基部で陸奥湾頭の野辺地町は1897年(明治30年)に発足し、古くから交通の要衝として栄えた県内有数の豪雪地帯で、町名はアイヌ語の“ヌプンペッ(野中を流れる川)” に由来するとされます。養殖帆立貝・とげくり蟹(桜蟹)・長芋・葉付き小蕪・河原決明(かわらけつめい)茶・清酒等の特産品や茶粥・煮和えっこ・煮〆・海鼠料理・帆立味噌貝焼・けいらん(餡包み餅入り清まし汁)・烏賊せんべい等の郷土食・名物があります。八甲田山東側の七戸町は1902年(明治35年)発足の旧七戸町が2005年(平成17年)に天間林町と合併して現町域となりました。青森県東部から岩手県北部にかけて“戸(へ)”付き地名が(四戸を除き)一戸から九戸まで存在し、平安後期の奥州藤原時代に設置の糠部(ぬかのぶ)郡の9地区分割の名残りで、 “戸”には南部氏による軍馬牧場の木戸番号からとか、一戸から七戸までは一日で移動可能な距離の5里(約20㎞)間隔であり蝦夷平定守備兵の宿営地囲いの柵戸(きのへ)番号からであるとかの諸説があります。競走馬生産が盛んで、長芋・黒にんにく・七戸短角牛・清酒等の特産品や手打ち蕎麦・蕎麦餅・なべっこ団子(白玉善哉風)・駒饅頭等の郷土食・名物があります。郡東南部の六戸町は1957年(昭和32年)に発足し、積雪も多くなく東西を流れる十和田湖源流の奥入瀬川流域に農地が広がっています。青森県東部から岩手県北部にかけて“戸(へ)”付き地名が(四戸を除き)一戸から九戸まで存在し、平安後期の奥州藤原時代に設置の糠部(ぬかのぶ)郡の9地区分割の名残りで、 “戸”には南部氏による軍馬牧場の木戸番号からとか、一戸から七戸までは一日で移動可能な距離の5里(約20㎞)間隔であり蝦夷平定守備兵の宿営地囲いの柵戸(きのへ)番号からであるとかの諸説があります。米・長芋・人参・にんにく・鶏(青森シャモロック)等が特産品です。下北半島中間部で陸奥湾に面した横浜町は1956年(昭和31年)に発足し、奥方向を山が遮る細長い地形で、長く伸びる浜がある事が町名由来との説があります。競走馬生産や養豚・養鶏が盛んで、作付面積全国2位の菜の花・馬鈴薯・毛豆(産毛枝豆)・御なたね油・横浜海鼠・養殖帆立貝等が特産品です。郡中央部で東部に小川原湖が所在する東北町は、1963年(昭和38年)甲地(かっち)村が町制施行して改称した旧東北町が2005年(平成17年)に上北町と合併して現町となり、2方角が町名に付く全国唯一の町です。長芋・大根・人参・米・粟・わかさぎ・しらうお(漁獲量全国一)・蜆(小川原湖)等の特産品や長芋料理の郷土食があります。おいらせ町は2006年(平成18年)に2町合併で発足し、郡東南部で東部が太平洋に面し、東西を町名由来の奥入瀬川(十和田湖源流)が流れ、隣接の八戸市・三沢市のベッドタウンともなっている県内最大人口(2万4千人強)の町村です。米・長芋・人参・メロン・苺・銀の鴨・清酒(桃川)等の特産品やキャベツラーメンの名物があります。下北半島太平洋岸で、原子力・風力発電等のエネルギー関連施設が集積する六ヶ所村は、1889年(明治22年)の6村合併で発足しました。農業・畜産業・漁業が盛んで、長芋等の根菜類・長芋焼酎(六趣)が特産品・名物です。郡内には老舗の和菓子店・食品店・酒蔵などが残っています。
青森県東部で本州最北端部である下北半島の基部から中部にかけての上北(かみきた)郡は、1878年(明治11年)に…
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