兵庫県南東部で大阪府との府県境に面する川西(かわにし)市は、1954年(昭和29年)に川辺郡川西町・多田村・東谷村の合併で発足し、市名は旧川西町名を継承し、猪名川(いながわ)の西岸の意味です。清和天皇後裔の源(多田)満仲が武士団を組成し清和源氏本拠地(多田神社の地)となった“武門源氏発祥地”として知られ、江戸時代は尼崎藩領で、11-17世紀頃は現在の猪名川町・大阪府池田町に亙る多田銀銅山が栄えました。三菱財閥が多田銀山を国から払下げられ、1884年(明治17年)に国内初の飲料水工場で平野鉱泉(銀山内)炭酸水を詰めて販売した “平野水(ひらのすい、後に三ツ矢印平野水・三ツ矢シャンペンサイダー等)”が現在の“三ツ矢サイダー”の祖です。一庫(ひとくら)炭・いちじく・北摂栗・桃等の特産品や銘菓(菊炭最中・冬場の水羊羹・いちじく羊羹等)・いちじく茶・いちじくワイン等の名物があり、市内には老舗の和菓子屋などが残っています。
1884年創業、日本のサイダーの源流の1つ 三ツ矢サイダー
平野駅から徒歩9分ほどの場所にある 旧三ツ矢記念館。元の名称は旧帝国鉱泉株式会社 御料品製造所といい、三ツ矢サイダーが製造されていた場所です。1884年(明治17年)に、三菱商会が平野水として炭酸水を発売したことが始まりです。その後の歴史は長くなるので、だいぶ端折って書きますが、名称は平野水 → 一本矢礦泉 → 三ツ矢平野水 → 三ツ矢印 平野シャンペンサイダー → 三ツ矢シャンペンサイダーを経て、1916年(大正5年)に三ツ矢サイダーを商標登録されています(三ツ矢サイダーとしての発売は1968年からのよう)。平野水の名称時代には、夏目漱石に愛され作品にも登場し、大正天皇の皇太子時代に御料品としても採用された名誉ある飲み物でもあります。現在はアサヒ飲料から発売されています。
という、三ツ矢サイダーです。SINCE1884と書いてありますね。
ロゴ部分をアップで。薄くAsahiのマークも入っています。
パッケージの裏側です。日本うまれの炭酸飲料なのです。
三ツ矢サイダーは周りに愛飲している人がいるのでたまに飲むのですが、懐かしさと美味しさのバランスが良い飲み物で、昔ながらだけど現役感ある飲み物です(伝わりづらいなw)。懐かしいけど、ブラッシュアップされた美味しさも感じられる三ツ矢サイダー、久しぶりに飲んでみてはいかがでしょう?
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———三ツ矢サイダー (アサヒ飲料発売) 基本情報———-
〇創業年 1884年発売 / 明治17年発売
〇営業時間
・本社機能のため割愛
〇住所
兵庫県川西市平野 (旧・兵庫県川辺郡多田村字平野)にルーツ
(公式サイト)⇒ 三ツ矢サイダー|アサヒ飲料