リキフーヅの一豚入魂・米澤豚一番育ちリブロース / 東京 葛飾区青戸 1921年創業 (大正10年)
葛飾区中部の青戸(あおと)は、昭和7年(1932年)の東京市葛飾区発足に伴い青戸町となり、昭和31年(1956…
続きを読む →葛飾区中部の青戸(あおと)は、昭和7年(1932年)の東京市葛飾区発足に伴い青戸町となり、昭和31年(1956年)の日本住宅公団青戸団地(現・UR青戸第一団地)造成等の宅地化進展と共に発展しました。1966年(昭和41年)の分離までは現・同区白鳥の大部分を含んでおり、1967年(昭和42年)の住居表示実施で旧町及び他町一部再編により現町域となりました。古代には青津・大戸・大津等と表記され永らく“おおと”と呼称されてきて、戸は湊(水門・渡し場・船着場・埠頭)の意味とされ、現在も環状7号と国道6号とが交わる交通の要衝です。15世紀中葉に関東管領家の上杉氏築城とされる葛西(かさい)城跡には、徳川家康から家光頃まで鷹狩宿舎用の陣屋だった青戸御殿(葛西御殿)があり、同所は鎌倉期の領主・青砥藤綱の邸宅だったとの伝承もあり、京成電鉄・青砥(あおと)駅の表記由来となっています。造語“激辛”で知られる老舗煎餅店・神田淡平(本店:千代田区西神田)の本社工場が立地し2006年(平成18年)まではトミーと合併してタカラトミー(葛飾区立石)となった玩具の旧タカラ本社がありました。町内には老舗の和菓子店(本社工場・売店)・食品会社が残っています。
葛飾区中部の青戸(あおと)は、昭和7年(1932年)の東京市葛飾区発足に伴い青戸町となり、昭和31年(1956…
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