戦国時代の後北条氏や江戸時代の小田原藩の城下町として栄え、およそ400年前に東海道五十三次中で最大の規模であった9番目の小田原宿が設けられて賑わった神奈川県小田原市。古名の「小由留木」(こゆるぎ、「淘陵」とも表記)の草書体を読み間違えた説や、原野を開墾して小田となったとの由来説があります。西湘地域の核であり永らく箱根観光の拠点でもあって、豊かな自然の中で海山の産物に恵まれ、蒲鉾や梅干などの特産品で全国に知られており、各所に老舗の飲食店・和菓子店・食品店などが点在しています。
1368年創業、ういろう発祥の店 ういろう
ういろう、という穀物の粉を蒸して作ったご存知のお菓子の発祥には諸説ありますが、一つの説は日本に移り住んだ外郎家(ういろう)の二代目宗奇が足利義満に献上したお菓子に由来する、というもの。
この外郎家が小田原に移り住み、今も作り続けているのがういろう(店名)であり、外郎家が生み出したういろう(商品名)が元祖と称されています。
※上記の説をとる場合、ういろう発祥の地は、外郎家が移り住んだ博多である、とするケースや、2代目宗奇が在住し献上した地である京都とされることが多いです。小田原のういろう(店名)は、ういろう(商品名)の発祥の店ではありますが、小田原がういろう(商品名)発祥の地、と外郎家も発信をしていないのは、上記の理由からと思われます。
凄く長い前置きを書きましたが、こちらがういろう本店。城のようなお店構え!
こちらが正面玄関。看板には大きく「ういろう」とあります。
このういろう本店が販売しているういろう(商品名)には、実は2種類あります。1つが「薬のういろう」で、もう1つが「お菓子のういろう」。
元々外郎家が日本へ亡命した際に売っていた薬が、外郎家の名前から「外郎薬」と呼ばれるようになりました。その薬を今もういろう本店では販売しており、今も「薬のういろう」として販売されています。
そして、みなさんが良くご存知の、米粉を蒸して作ったお菓子「ういろう」は、ういろう本店では「お菓子のういろう」と呼ばれています。
「お菓子のういろう」は白・茶・小豆・黒の4種と、栗ういろうが販売されています。すべて食べてみたいところではありますが、1本ずつの販売となるため、今回は涙をこらえて、基本の白だけを購入してきました。
こちらがお菓子のういろうのパッケージ。何ともいえない可愛さのあるパッケージです。
こちらが裏面。上記に書いた「お菓子のういろう」と「薬のういろう」の説明が書かれています。
パッケージの中には更に細かい説明が載っていました。私個人は、こういうのを読みながら食べる老舗は、20%増しで美味しくなると思っています。
パッケージ開封。アルミ箔にくるまれています。室町文化の風味、という言葉に込められた重み!
今回実は一つ失敗したのが、会社にういろうを持っていったところ、なんと会社に包丁がなかったこと…。箸で無理やり切ったため、やや残念な見た目になっていることをご了承ください。
久しぶりにういろうを食べて思いましたが、この優しい味は、大人になって食べると、日本の原風景を思い出すような気分にさせられてとっても美味しく感じられます。
ちなみに箱の中にも色々書き込みがあり、老舗を美味しく楽しむ方法論にあふれています。
せっかくういろうさんへ伺ったのに、白一つだけを味わうのはもったいない、と思いまして、「季節のお菓子栗むし」も買ってきました。小分けになっているのは買いやすくて助かりますね。
開封するとこんな感じで小分けで入っていました。
あけるとこんな感じです。ういろうと同じような、ほのかな、あっさりとした甘み。こういう和菓子だと無限に食べられそうで怖いですね…。
名古屋のういろうを沢山食べてきた私としては、小田原のういろうは、普段のういろうよりも、もっと懐かしさにあふれている、昔ながらの味がして、なんだか嬉しくなりました。
老舗には、高級化して、磨き上げられた素晴らしい味になっているお店もあれば、ういろうさんのように、昔ながらを守ることで角のない、日本人なら誰でも親しみを感じられる味となっているお店もあります。私にとっての楽しい老舗は圧倒的に後者で、その私からするとういろうさんの訪問はとっても楽しいイベントとなったのでした。
———ういろう 基本情報———-
〇創業年 正平23年創業 / 1368年創業
〇営業時間
[月~土]
10:00~1730(4月~10月)
10:00~17:00(11月~3月)
[日]
10:00~1700
※水曜、第3木曜、大晦日 、元旦 定休日
〇住所
神奈川県小田原市本町1-13-17
(公式サイト)⇒小田原のお菓子 観光の際のお土産に|ういろう
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