港区麻布十番は、江戸時代の古川(渋谷川下流)改修工事の工区番号に因むなど地名の由来には諸説があります。空海開基と伝わり都内では浅草寺・深大寺に次ぐ古刹で著名人の墓も多い麻布山善福寺の門前町として発展し、明治以降は近隣の花街と共に東京山の手では神楽坂と並ぶ商店街・繁華街として栄えてきました。周辺には外国公館も多数存在し外国人も多く、商店街は国際的な雰囲気と昔ながらの庶民的な街並みとが混在して賑わい、老舗の飲食店や和菓子店などが何軒か残っています。
※麻布十番にある更科の3店は複雑な経緯をお持ちで、どの店舗を掲載するか悩みましたが、このサイトでは3店とも掲載することとしました。3店の簡単な経緯はページ下部にまとめております。
1789年創業の 布屋太兵衛にルーツを持つ永坂更科 布屋太兵衛
麻布十番の商店街の名は程に、1789年創業の「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」にルーツを持つ、「永坂更科 布屋太兵衛」はあります。更科堀井さん、麻布永坂更科本店さんと同じルーツですが経営は別会社さんとなります(複雑な経緯は下部へ)。
麻布十番の中心地にある立派な店舗です。
今回は夜お伺いしました。せっかくなのでそば懐石を。オーダーしたのは「そば 松花堂 曙」。蕎麦、てんぷら、お寿司等々豪華なラインナップ。
そばつゆが、から汁とあま汁、の2種用意されます。食べなれているのはから汁ですが、あま汁も中々いけます。
蕎麦は2種類あります。こちらが御膳蕎麦。更科らしい白いあっさり目のお蕎麦で、蕎麦の繊細さが伝わる味。
そしてもう一種が生粉打ち蕎麦。蕎麦の素朴さと力強さが分かる味。
そしてそば饅頭も付いてきます。永坂更科 布屋太兵衛さんといえば、そば饅頭というイメージも強いですよね。
今回はそば懐石で、2種類の蕎麦、2種類のそば汁で、様々な蕎麦を楽しむことが出来ました。複雑な経緯を持つ麻布の3店の更科蕎麦屋さんですが、それぞれに楽しみ方があるなぁと思っています。布屋太兵衛さんにお伺いされるのであれば、こちらのそば懐石を頼んでいただいて、蕎麦を食べ比べてみることで、蕎麦の奥深さを知ることが出来るのでは、と思っています。
※「更科堀井」、「麻布永坂 更科本店」、「永坂更科 布屋太兵衛」の3店舗について。
3店舗ともに1789年(寛政元年)に創業した「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」をルーツに持つ店舗となります。「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」自体は1941年に廃業をしています。
【麻布永坂更科本店について】
・1948年に馬場氏が「永坂更科本店」開業。「信州更科蕎麦所 布屋太兵衛」のルーツを持つお店ではありませでしたが、創業家である七代目堀井松之助と「永坂更科」の商号の使用に関して合意を得て、七代目堀井松之助さん(現 更科堀井の7代目)を雇用されていたお店です。1950年に「麻布永坂更科本店」として商標登録出願。
【永坂更科 布屋太兵衛について】
・1949年に「麻布永坂更科 総本店」開業。堀井松之助(現 更科堀井七代目)、妻きん、麻布十番商店街の小林玩具店の小林勇氏で、合資会社「麻布永坂更科 総本店」を設立。1957年に馬場氏の「麻布永坂 更科本店」と、小林氏の「麻布永坂更科 総本店」でともに同じ称号を使うことで調停を結ぶ。1959年に「永坂更科 布屋太兵衛」会社成立。
【更科堀井について】
・1960年堀井良造(更科堀井 八代目)は大学を卒業、合資会社「永坂更科布屋太兵衛」に入社。1984年 永坂更科布屋太兵衛の専務取締役堀井良造(更科堀井 八代目)は、「信州更科 布屋総本店」を開店。1985年、布屋という名称使用で裁判があり名称を「更科堀井」へ。
※創業家の堀井さんのルーツのお店となります。
———永坂更科 布屋太兵衛 基本情報———-
〇創業年 寛政元年創業 / 1789年創業
〇営業時間
11:00~21:30(※21:00Lo)
※定休日なし
〇住所
東京都港区麻布十番1-8-7
(公式サイト)⇒永坂更科 布屋太兵衛
1件のコメント