逢坂山かねよで、 卵焼きと鰻を乗せた「きんし丼」を食べる / 滋賀 大津 1872年創業 (明治5年)

滋賀県庁所在地の大津市は、飛鳥時代の667年に天智天皇が近江大津宮に遷都し、奈良時代に瀬田に近江国府が置かれた地。江戸時代は東海道53次の最後の宿場・大津宿、膳所藩城下町の膳所、比叡山門前町・港湾の坂本、湖上交通拠点の堅田などが栄えました。琵琶湖と比叡山とに囲まれた豊かな自然景観は多くの観光客を集めています。大津絵大津算盤等の伝統品や鮒・蜆・湖魚加工食品等の伝統食材も豊富で、膳所茶は黒船来航のペリーに賞賛され後に対米輸出品第1号となりました。市内には老舗の飲食店・和菓子店・食品店などが数多く残っています。

1872年創業、卵焼きと鰻を乗せた「きんし丼」で知られる 逢坂山かねよ

大津駅から車で10分弱、京阪京津線大谷駅から徒歩4分ほどの場所にある 逢坂山かねよ。山の中にあるちょっとアクセスしづらい場所のお店で、私は大津駅から散歩がてらお伺いし、大体30分ほど掛かりました。
逢坂山かねよさんは、江戸時代末期に創業したお茶屋さん「かね文」さんに来ていた行商の米吉さんが始めたお店。1872年(明治5年)に、かね文の「かね」と、米吉の「よ」をとり、逢坂山かねよ、となりました。

逢坂山かねよさんは、かなりの人気店。近くの道にはこんな看板が。平日昼間に伺ったので空いていましたが、休日昼間はかなり混むそうですよ。 こちらが店舗外観。山間にある日本家屋、といった感じのお店です。お店はお座敷っぽい本店と、カジュアルに食べられるレストラン部に分かれています。今回はレストラン部のほうにお伺いしました。 こちらがメニューです。メニューの表面には、童謡詩人の野口雨情氏が「鰻料理は逢坂山の ひびくかねよか日本一」と絶賛されたという歌が載っています。 こちらがメニュー。きんし丼が様々なバリエーションで並んでいます。主に鰻の量の違いだそうです。
かねよさんでは大正末期から昭和の初めに、細切りにした錦糸玉子をうな丼の上にのせるメニューがあったそうですが、お客さんから急かされ、細切りの錦糸玉子でなく、大きな幅で切った玉子焼きの形状で出したところ、これが大好評。それから玉子焼きが大きくなっていき、今の形状にたどり着き、今も「きんし丼」と呼ばれているのだとか。というきんし丼、どれにするか悩んだのですが今回は上から2番目の極上きんし重、4000円をオーダー。見てください、このボリューム!ちょっと甘めに焼かれた卵と鰻が猛烈に合います。これはむしろ、鰻単体より美味しいんじゃなかろうか、と思えるぐらいの発明です。 肝吸いも付いてきました。お麩、しめじ、じゅんさいが入っていました。
(初出では水菜と書いていましたが、じゅんさいであったとのこと。記憶が曖昧になっていました…)

かねよさんはその歴史をラズウェル細木さんの漫画にして配布されていました。こちらのページにPDFも載っています。この漫画、歴史を知るのに超分りやすい!

歩いて伺ってしまったがために、小旅行のような訪問になりましたが、山の中にある老舗に伺う、という体験は新鮮で、かつそこにこんな美味しいご飯が待っているなんて、素敵すぎる老舗訪問となりました。野口雨情さんが「日本一」と表現した「きんし丼」を食べに、是非伺ってみてください。

—— 逢坂山かねよ 基本情報———-
〇創業年 1872年創業 / 明治5年創業
〇営業時間
・本店
11:00~20:00
【定休日】木曜日
・レストラン部
11:00~20:00
【定休日】火曜日
〇住所
滋賀県大津市大谷町23-15
(公式サイト)⇒ かねよ うなぎ きんし丼 | 日本一のうなぎ 逢坂山かねよ | 滋賀県大津市

2件のコメント

    1. そうだったのですね。記憶があいまいになっておりました。
      ジュンサイに修正しました。ありがとうございます!

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