敦賀名物の昆布を加工したお菓子、紅屋の昆布求肥を食べる / 福井 敦賀 1793年創業 (寛政5年)

福井県敦賀市は旧越前国敦賀郡(県嶺南地方)ですが、木の芽峠で他の越前地域とは遮断されていて、江戸時代は小浜藩(若狭国)の支藩でした。地名由来には、崇神天皇の時代に朝鮮半島から渡来した“都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)”に因んだ“角鹿(つのが)”が713年(和銅6年)に“敦賀”となった等の複数説があります。古代より、特に江戸中期から明治中期には北前船により、蝦夷地(現・北海道)からの板昆布が敦賀湊で水揚げされ、琵琶湖経由で京・大阪へ送られていました。出汁昆布・手漉きおぼろ昆布等の加工品生産量は現在も全国の8割以上で、他にも魚肉練り製品・へしこ・鰊寿司(麹漬)・水仙饅頭(葛饅頭)等の特産品・名物が数多くあります。市内には越前国一宮の氣比(けひ)神宮・敦賀赤レンガ倉庫・敦賀鉄道資料館(旧敦賀港駅舎再現)等の観光名所と共に、老舗の飲食店・和菓子店・食品店が何軒も残っています。

1793年創業、昆布問屋として創業し、昆布を使った和菓子店へと転身された 紅屋

敦賀駅から車で6分ほど、徒歩20分ほどの場所にある 紅屋。1793年(寛政5年)に北前船から運ばれて来る昆布を扱う昆布問屋として創業されました。和菓子への進出は1871年(明治4年)のことで、「地の利を生かした菓子を」と昆布を原材料にしたお菓子を作りはじめられました。その時に生まれたのが、今も敦賀名物として知られる求肥昆布となります。ちなみに以前は孫八や、田結海望堂という屋号も使っていらっしゃったそうですが、戦後お菓子作りを再開した際に今の紅屋という屋号にされています。

という紅屋さん、こんな感じの看板が立っています。

こちらが店舗正面。赤が印象的な暖簾ですね。 店舗のディスプレイを撮り漏れましたが、かなり沢山のお菓子が並べられていました。また店内にはお花も沢山飾ってありましたよ。そちらは1枚撮影していたので、ディスプレイの姿替わりにどうぞw。

お店の方からは「雑誌に取り上げられたんですよ」と掲載紙を見せて頂きました。もちろん求肥昆布です。 求肥昆布を買いに来たのですが、お店の方からせっかくなので食べていって下さいと、味見させてくださいました。左が豆らくがんで、右が求肥昆布です。こちらが求肥昆布。お皿に乗せると映えますねぇ。 ということで購入してきました。こちらが求肥昆布。縦長なパッケージです。

こんな感じで複数枚入ってます。昆布の旨みって、甘みとすごくマッチしていて美味しかったです。何か体に良い味がする気がします。これはカロリーゼロではないか(違う)。

もう一つ購入したのが豆らくがん。お店でお薦めされてしまった以上買うしかない! こんな感じの食べ物で、お多福を模っています。これ、驚くことに殆どが手作業で作られているのだとか。豆らくがんの豆は、大豆のことで、大豆で落雁作っているのは敦賀独特なのだそうですよ。きな粉っぽい味がして美味しかったです。

昆布問屋から始まり、昆布のお菓子を提供することになった紅屋さん。そこに昆布があったから、だと思うのですが、地元の名物を使って家業を時代に合わせて変えていらっしゃるのは素晴らしいですね。その土地の名物を使って作られるお菓子は、その土地を訪ねる醍醐味なので、こういう老舗和菓子店を発見すると嬉しくなります。敦賀に行った際、是非求肥昆布を食べてみてください!

—— 紅屋 基本情報———-
〇創業年 1793年創業 / 寛政5年創業
〇営業時間
・8:00~20:00
※日曜日 無休
〇住所
福井県敦賀市相生町6番地の11
(公式サイト) ⇒ 越前敦賀和菓子処 紅屋のお取り寄せ

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