ジャガイモコロッケが入っていないコロッケそば@そば所 よし田 / 東京 銀座 1885年創業 (明治18年)

江戸時代に置かれた銀貨幣鋳造所(銀座)に地名を由来する中央区銀座は、明治時代に文明開化を象徴する町として銀座煉瓦街が建設されて栄えてきました。現在の銀座8丁目付近で芸妓能楽師に因んで称された金春(こんぱる)芸者で賑わった幕末からの花柳界が、明治政府高官などの贔屓により新橋花街として江戸時代以来の柳橋(現・台東区)と共に「柳新二橋」と称し発展し、昭和中期の最盛期を経て今も中央区築地にかけて10軒以上の料亭と数十人の芸者を擁しています。東京を代表する地域ブランドのショッピング街として、大繁華街として、また夜の高級な社交の場として今に至っており、各所に老舗の飲食店や和洋菓子店などが数多く点在しています。

1885年創業、ジャガイモコロッケが入っていないコロッケそば そば所 よし田

銀座駅から徒歩5分弱の場所にある そば所 よし田。1885年(明治18年)に浜町よし田(既に閉店)からの分家として、銀座で開業されました。元々は銀座7丁目にありましたが、2016年に店舗を移転され銀座6丁目に移られています。

よし田という名称については、東京紅團さんの説明にある本所の吉田町(現在の墨田区石原四丁目辺り)にあった蕎麦屋だったからという説と、ginzaでのインタビューでは元禄時代の茶人・吉田自習軒から来ている、という2つの説が見つかりました。いずれにせよ古い話なので色々説はありそうですね。

ということで店舗外観です。16年の移転の際にKNビル 2Fに移転されており、ちょっと見つけづらいかもしれません。メニューはこちら。もりが600円をはじめ、各種蕎麦メニューが充実。蕎麦以外に丼物も提供されていますよ。
ちなみにランチタイムは丼+ミニそば+ミニサラダを1000円~で提供。銀座にしてはお得プライスですね。ランチセット以外のオーダーでも、そば・うどんをお願いすると俵むすびが付いてきます。 お昼セットに相当惹かれつつも、ここは名物のコロッケそばを食べなければ、とコロッケそば1050円をオーダー。ランチタイムの俵むすびサービス付き。少しアップの写真です。真ん中に鎮座する茶色くて丸い食べ物がコロッケです!こちらがコロッケの断面図。ジャガイモコロッケとは少し違う印象ありますよね。よし田さんのコロッケは、コロッケといってもイメージとしては「鶏つみれ」に近い食べ物。鶏ひき肉につなぎを入れた揚げ物、といった感じ。初めて食べた時は、結構違和感あったのですが、食べなれた今は、この優しい味にはまっており、定期的に食べたくなる体になっていますw。

なぜこのコロッケそばが生まれたのかなのか、ですが、食楽ウェブに面白い仮説が書かれています。ざっくりとまとめると、

・コロッケが日本に伝わったのは1870年代。当時のコロッケ=クリームコロッケで、乳製品が高価な日本では、コロッケは富裕層の食べ物であった。
・1880年頃、乳製品を使わないジャガイモ入りコロッケが開発される。
・1885年創業のよし田さんで、トレンドだったコロッケを取り入れようとされたのではないか。

というお話です。どうやって鶏肉にたどり着かれたのかはここからわかりませんが、時期的にコロッケを目玉にしたかったのは確かかもしれませんね。
という歴史ある、ちょっと変わったコロッケそば、銀座訪問の際にぜひ一度食べてみてください。

——- そば所 よし田 基本情報———-
〇創業年  1885年創業 / 明治18年創業
〇営業時間
[月~金] 11:30~15:00 17:00~22:00
[土・祝] 11:30~15:00 17:00~21:00
※日曜 定休日
〇住所
東京都中央区銀座6-4-12 KNビル 2F
(食べログ)⇒ そば所 よし田 – 銀座/そば [食べログ]

2件のコメント

  1. ・銀座のよし田が資生堂本社付近に在った頃は至便な場所だったので、私も週末の買物帰りの午後などに寄って、おかわり付き天せいろ(かき揚げが沈んだつゆと二枚のもり)で酒正一合二本など、よくやったものでした。夜も銀座のバー巡りの前に友人などと立ち寄り(大昔は店内の奥に若い女性のお運びさんが何人か立っていて、若気の至りで、入店した頃は初々しいと云うか些か野暮ったい雰囲気の彼女達が暫く経つとやや派手な化粧などするようになる様を眺めては、此処は キャバそば だななどと不謹慎にも呟きながら)よく呑んだものでした。尤も、数多の壁の短冊に書かれた酒肴には値段が書かれておらず、調子に乗って呑み食い過ぎると一寸した小料理屋並み或いはそれ以上の勘定で、行きたい酒場の数を減らす羽目になったりもしたものでした。丸の内勤務時には階上の座敷で鴨鍋に卵焼きにもりそば等の忘年会を催したりもしました。
    ・バブル前位までは、銀座には安直で廉価な食い物屋や酒場が数多存在していて、地元で働く方々の餌場も多く、とんでもなく高額な酒場や料理屋にさえ近づかなければ庶民が諸般安全に楽しめる街でした。今ではそんな處も少なくなり、大きなビルのテナントなどを除くと、何れも創業からは数十年以下ですが、蕎麦の泰明庵とか洋食のあづまとか豚カツのとん喜や不二(とん銀は残念ながら閉店してしまいましたが)とか位になってしまいましたね。七丁目ライオンあたりに家族連れや若い人達等が大勢並ぶのも良く理解できます。今はビヤホールですらピルゼンなども無くなり、他に行く安直な處があまり無いからでしょうね。
    ・東京の蕎麦屋の老舗も貴サイトでは随分取り上げられていますので、他には明治初期創業の神田錦町更科とか大正期創業の巣鴨の更科とか位しか私には思い浮かびません。

    1. ・銀座はここ10年ちょっと、バブル崩壊後にしか来たことがない場所のため、今と違った割と牧歌的な雰囲気な時代があった、というのがちょっと想像しがたいです。
      が、10年前と今で街の雰囲気が変わった(日本人より中国人を見るようになった)状況を見ると、案外移り変わりやすい街だ、ということなのでしょうか。

      ・老舗蕎麦屋さんは、ストックは後10軒ほどあります。
      蕎麦屋さんは、有名店でないその辺のお蕎麦屋さんでも大正以前が存在していますし、
      創業年度が表に出ていなかったり、があり、
      その辺りを考えると、中々コンプリートが難しい業種なのかも、という気はしています。

      ・東京は少なく見積もって3割程度、多く見積もると5割程度は伺えたと思われるので、
      ようやくですが、だいぶ自分の頭の中に、東京老舗地図が出来上がってきましたw。

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