酒悦の元祖 福神漬は何にでも合う最高のやつ / 東京 上野 1675年創業 (延宝3年)

東京の北の玄関口・上野駅を核とする台東区上野は、江戸時代に建立された徳川将軍家菩提寺である寛永寺の門前町として栄えました。明治には不忍池周辺が上野公園(上野恩賜公園)として整備され、博物館・美術館・文化会館などの多数の芸術文化施設や、動物園などの観光・レクリエーションの場に多くの人々を集めています。アメヤ横丁の食材・雑貨・衣料等の商店も連日賑わい、由緒ある公園内や町の各所に老舗の飲食店や和洋菓子店などが数多く点在しています。

1675年創業、酒が悦ぶほどうまいものを作り続ける 酒悦

上野広小路から徒歩1分、御徒町駅から徒歩3分ほどの場所にある酒悦。1675年(延宝3年)に、野田清右衛門氏によって「山田屋」という屋号で本郷本町に創業されました。その頃は伊勢から仕入れた海産物を扱うお店だったそう。その後現在の本店がある上野池之端に移転し、酒の肴となる珍味類も扱うようになりました。現在の屋号「酒悦」は、「酒が悦ぶほどうまいもの」の意味。東叡山輪王寺の御門跡白川宮がそう称したことから、この屋号となったそうです。

という酒悦さんの外観はこちら。三百年の味の店、の看板がカッコいいですね。

店頭には元祖として名高い福神漬が並んでいました。今日のご目当てはこれです。

店内には多数の商品が並んでいます。こちらは甘納豆とお漬物。 こちらは瓶詰のコーナー。海苔の佃煮、福神漬、らっきょう等が並んでいます。

こちらも漬物。味見もできるので、好みのものを探せますね。ということで買ってきました、元祖福神漬です(元祖は他説もあり)。 取り出した図がこんな感じ。よくある赤い感じでなく、漬物本来のナチュラルカラーな福神漬です。
福神漬は元祖が2説あるのですが、酒悦さんでは明治初頭に第15代野田清右衛門が開発した、としています。7種類の野菜を使って作られたこと、そして上野不忍池の弁才天近くにあったことに加えて、名付けの親とされる作家の梅亭金鵞氏が、

「ご飯のお供にこれさえあれば他におかずは要らず、食費が抑えられ金が貯まる(=家に七福神がやってきたかのような幸福感)」

と解釈したことから、この名前になったのだとか。ちなみに今や様々なお店で福神漬けが作られていますが、この名称が広がるようにと商標登録をされなかったため、各地で作られるようになったのだとか。素晴らしいお話ですね。

ちなみに、今や福神漬といえばカレー、という印象が強いですが、福神漬が出た当時は、梅亭金鵞氏のコメントのように、どんなものにでも合うご飯のお供であり、決してカレー専用のお漬物ではなかったそう。カレーに用いられたのは大正時代で、インドのカレーの添え物チャツネに似せて赤色になった、というお話もあります。今回元祖を食べて思いましたが、福神漬はカレーのためにだけある、と思うのはもったいないですね。もっと広く食べられるべきものだな、と改めて思います。元祖の味、ぜひ食べてみてください!!!

——-酒悦 基本情報———-
〇創業年 1675年創業 / 延宝3年創業
〇営業時間
・10:00~19:00
※年中無休
〇住所
東京都台東区上野2-7-11
(公式サイト) ⇒ 酒悦 創業1675年(延宝3年)上野池之端

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