大角玉屋の元祖いちご豆大福&いちご羊羹 / 東京 新宿区住吉町 1912年創業 (大正元年)

新宿区東部で牛込地域西部の住吉町(すみよしちょう)は、1872年(明治5年)に市ヶ谷三軒屋敷・市ヶ谷鍋釣町・市ヶ谷谷町が統合した市ヶ谷谷町(いちがやたにまち、後に市谷谷町)が、1922年(大正11年)の一部(市谷台町)分離を経て1952年(昭和27年)に住吉町に改称され、1986年(昭和61年)に市谷冨久町・舟町・片町の各一部を編入して現町域となりました。改称理由は谷の字が続き誤記され易い等で、現町名は住み良い町の意味とされます。主に閑静な住宅地で、靖国通り(都道302号)を跨ぐ外苑東通り(都道319号)の陸橋である曙橋(1957年開通、復興・成長祈願の意味の一般公募名称)に因む都営地下鉄曙橋駅が立地していて、あけぼの橋商店街が近隣住民で賑わう町内には老舗の和菓子店が残っています。

1912年創業、いちご大福元祖の店とされる 大角玉屋

曙橋駅から徒歩4分ほどの場所にある 大角玉屋。1912年(大正元年)に創業された和菓子店です。現在は3代目の三代目大角和平氏が代表を務められていますが、この和平氏が1985年(昭和60年)に生み出したのが、今や日本中で知らぬ人がいないいちご大福になります(大角玉屋さんでは、いちご豆大福が商品名となります)。
※いちご大福の元祖とされるお店は複数あるため、諸説あるうちの1つとお考えください。

という、大角玉屋さん本店の外観。大角は創業者の方のお名前だったのですね。

正面の絵。玉屋の看板が奥に見えます。

店内に入りました。いちご大福で有名なお店でありますが、基本は和菓子屋さんです。春らしく桜餅が販売されていました。と、いちご系のお菓子も多数扱われています。

小口羊羹にも、いちご味がありました。

店内には三代目の大角和平氏のプロフィームも飾られていました。

そして、元祖いちご豆大福物語も。「大福の中にいちごが入ってる!」の驚き、分かるなぁ。

で、元祖いちご豆大福です。な、なんと、この日売り切れておりましたw。めげててもしょうがないので複数商品を購入しました。その1、桜餅。関東のクレープ状のタイプです。名古屋生まれの私にとって桜餅=道明寺のほうなので、未だにこの形状が桜餅であるというのに慣れませんw。味は大好きですけれど。もう1つ購入したのが、うぐいす餅。

青大豆で作ったきな粉=うぐいす粉を使った緑で鮮やかなお餅。久しぶりに食べたけれど美味しいなぁ。

で、いちご羊羹です。羊羹にいちご…? 蓋を開けて、 取り出した図がこちら。食べた感想としては、「いちごとあんこって合うね」ということ。そりゃそうか、いちご大福と組み合わせとしては同じですものねw。 で、後日再度やってきました。出来立てにあたりました。ラッキー!

こんな感じのパンフレットともに。大福の中にイチゴ入れるって、確かに発明ではありますよね。
で、1つ取り出しました。 パッケージ裏側はこんな感じ。 いちご豆大福とあるように、赤えんどう豆が入った豆大福の中にイチゴが入っております。元祖いちご豆大福を食べるのはおそらく初めてですが、この甘酸っぱさって独特な美味しさがありますよね。 子供の頃初めていちご大福をテレビで見たときに、「え、あんことフルーツが合うの?」って疑問に思った記憶があります。特にあの頃は、和菓子は和菓子であり、フルーツと組み合わせる発想が今よりもずっと奇抜に映っていたと思うのです。
このいちご大福は、洋菓子の看板メニューであるイチゴのショートケーキを「和菓子で作ったらどうなる?」が発想の原点なのだそう。で、大福やどら焼きと組み合わせることを思いついたそうです。ただ日持ちするものと合わせると、すぐに食べてもらえない危険性があるので、硬くなる前に食べる大福と合わせよう、となったのだとか。そんなアイデアが日本中を席巻するようになるなんて、面白いですよね。

—— 大角玉屋 基本情報———-
〇創業年 1912年創業 / 大正元年創業
〇営業時間
・9:00〜19:30 (日・祝は18:30まで)
※無休
〇住所
東京都新宿区住吉町8-25
(公式サイト)⇒ 元祖 いちご(苺)大福 – 東京都・新宿、銀座の和菓子製造、和菓子販売の大角玉屋

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