滋賀県東部の中心地で琵琶湖に面する彦根(ひこね)市は、1937年(昭和12年)の犬上郡彦根町・6村の合併で発足し、昭和前期から中期の近隣町村編入6回を経て現市域となりました。彦根の地名は天照大御神の御子である活津日子根命(活津彦根命、いくつひこね/いくつひこねのみこと)が彦根山の彦根神社に祀られたことが由来とされます。バルブ・ファンデーション(女性肌着)等生産の工業都市で、彦根仏壇や赤玉神教丸(健胃薬)等の伝統品・鮎等の琵琶湖淡水魚と加工品(佃煮等)・近江牛・紅かぶら・彦根梨等の特産品や鮒寿司・銘菓(埋れ木・三十五万石等)・彦根ちゃんぽん等の名物があり、市内には老舗の料理店・和菓子店・食品店・割烹旅館・酒蔵などが残っています。
1809年創業、糸問屋から和菓子店へと転業した いと重菓舗
四番町スクウェアから徒歩4分ほど、彦根駅から徒歩16分ほどの場所にある いと重菓舗。いと重菓舗さんは、元々1800年以前に湖北地方から彦根へ移り住んだことがルーツで、糸屋重兵衛として糸問屋を営む一方で、副業として煎餅等を作られていたそうです。その後、糸屋重兵衛氏の妻・ます氏が夢のお告げの中で菓子作りを教わったそうで、1809年(文化6年)より本格的な菓子業に転じ、糸問屋・糸屋惣右衛から分家し菓子屋を創業したとされています。彦根藩・井伊家の御用達のお菓子屋さんでもある、歴史と実績を兼ね備えた老舗店となります。
という、いと重菓舗の代表銘菓の1つ、埋れ木を購入しました。包装紙は彦根城っぽいですね。
パッケージ裏側です。埋れ木はお餅なので寒さと乾燥で硬くなる、と注意書きがあります。
包装紙を取るとこんな感じです。昔の彦根の街並みの絵が載っています。
箱を開けると、小分けにされた埋れ木が出てきます。
1つ取り出した図。
中身はこんな感じです。求肥に抹茶と和三盆を混ぜたものがまぶされており、ほのかなな苦味と甘みのハーモニーが素敵でした。
埋れ木の由来が書かれた紙も封入されていました。彦根藩主であり、江戸幕府大老であった井伊直弼公が青年時代を過ごした「埋れ木の舎」からその名がつけられたそう。
表側はこんな感じです。彦根が伝わるお菓子だったのですね。
別タイミングでは益壽糖(えきじゅとう)をお取り寄せしています。いと重菓舗さんが創業時から作られいるお菓子で、彦根藩主・井伊直弼公がその後に懐刀となる長野主膳に与えた、という記録も残っているそう。
こちら裏側です。益壽糖は、上白糖・水飴・澱粉・和三盆糖で作られたシンプルなお菓子です。
包装紙を取るとこんなパッケージが。後ろに見えるのは彦根城ですかね。 中を開けると益壽糖が出てきます。
一つ取り出した図です。
横からの図。求肥に和三盆がまぶしてあるお菓子で、懐かしくどこまでも優しい甘さ。上品ってこういうお菓子のことを指すんだろうなぁ。
埋も木・益壽糖、両方とも本当に美味しかったです。ザ・和菓子の王道でありながらも、現代風の食感と食味があり、「良い和菓子を食べているなぁ」と良い気分になれた感じです。いと重菓舗さんには他にも井伊直弼公由来のお菓子があり、次に食べてみたいのは井伊氏から与えられた木型で作った菓子・柳のしずくです。彦根、俄然興味が湧いてきました。
↓益壽糖は、楽天でもお取り寄せできますよ。
|
—– いと重菓舗 基本情報———-
〇創業年 1809年創業 / 文化6年創業
〇営業時間
・8:30 ~ 18:00
※火曜日 定休日
〇住所
滋賀県彦根市本町1-3-37
(公式サイト)⇒ TOP|いと重菓舗