東洋軒の大分名物 元祖とり天が最高だったことを皆さんにお伝えしたい / 大分 別府 1926年創業 (大正15年)

大分県別府市は、かつて宇佐八幡宮(大分県宇佐市)の荘園(石垣荘)があり、鎌倉時代に豊後国国司が荘園租税を特別扱いにする“別符(別府)”にしていたことに由来する地名とされています。全国に知られる別府温泉郷(別府八湯)は源泉数(2,300ヶ所以上で全国総源泉数の約1割)・湧出量(日量12万5千kl)共に全国1位です。年800万人が訪れる国際観光温泉文化都市・国際会議観光都市に指定されていて、市内就業者の8割が宿泊業等の観光産業・小売業等の第3次産業に従事しています。人気コースの別府地獄めぐり(主要7ヶ所)・城島高原パーク(旧城島後楽園)等の観光名所・施設も多く、湯の花(ミョウバン)・豊後別府ちりめん・ザボン漬等の特産品や別府冷麺・とり天等の地場料理も多数あり、市内には老舗の飲食店・和菓子店・食品店等も残っています。

1926年創業、大分名物となった”とり天”発祥のお店 東洋軒

別府駅から車で10分ほどの場所にある 東洋軒。1926年(大正15年)に、帝国ホテル等の勤務を経て、当時の天皇料理番となった宮本四郎氏によって創業された、大分初の本格レストランです。東洋軒さんが、その名を知られているのは、今や大分を代表する名物となった”とり天”発祥のお店であるためです(とり天の発祥については諸説あります)。

という東洋軒さんの看板がこちら。とり天発祥の店、の看板が眩しい!

こちらが店舗外観です。超、がつく人気店で、平日午後13時過ぎに伺ったのですが1時間近く待ちました。

お店に入りました。メニュー表に風格を感じます。

1ページ目には東洋軒さんの歴史が。茨城県生まれの初代 宮本四郎氏は神戸オリエンタルホテル、東洋軒(東京・三田)、帝国ホテル、帝劇「有楽座」、大阪ホテル、台湾総督府鉄道ホテルと、華々しい経歴。別府にレストランを作ることになったきっかけは、大正13年に別府に立ち寄ったことがきっかけだそう。そしてとり天がこちら。別府とり天と書かれているのは、大分市内に別のとり天発祥をうたうお店があるからなのか、と邪推したり(といっても、東洋軒さんのほうが歴史はかなり古いです)。
東洋軒さんのとり天は昭和初期に「鶏ノカマボコノ天麩羅」としてが初出だそうです。

ということで、やってきました元祖とり天。ご飯と卵スープ、漬物のシンプルなセット。 少しアップで。衣がジューシーで、鶏肉が甘い。最近東京でもとり天食べられる店増えてきましたが、もう日本を代表する食べ物にしちゃっていいんじゃないかと思うぐらい好きです。

順番前後しますが、かぼす酢醤油をつけて頂くのも美味しいそうです。かぼすの酸味が、甘いとり天にパンチを与えてくれて、一気に大人の食べ物に変化します。この変化率凄いな。

大人気の東洋軒さん、メディアにもよく出演されています。最近だとKis-My-Ft2の二階堂さんと、千賀さんがいらっしゃったそうですよ。

こちらは店舗の出口の様子。昔の写真やメニューが沢山飾られています。

読み取りは難しいかもですが、こちらが大正時代のメニュー

そして昭和初期のメニューも。こういうのが残っている老舗店珍しいので、つい見入っちゃいました。

ずっと行きたいと思っていた東洋軒さん、ついに伺うことが出来ました。大好きなとり天の発祥のお店、想像以上に美味しくって嬉しくなっちゃいました。待ち時間の長さを考慮に入れておらず、その後のスケジュールを変更することになってしまったもののw、それ以上に伺えた満足感のほうが高いです。別府訪問時の東洋軒さん訪問、マストだと思います。

——-東洋軒 基本情報———-
〇創業年 1926年創業  /  大正15年創業
〇営業時間
・[月~金]
11:00~15:30(L.O.15:00)
17:00~22:00(L.O.21:00)
・[土・日・祝] 11:00~22:00(L.O.21:00)
※年中無休
〇住所
大分県別府市石垣東7-8-22
(公式サイト)⇒ とり天発祥の店 中華料理レストラン東洋軒 / 大分県別府市 – 大正15年創業以来、別府の食文化の顔として多くの人々に愛されてきた大分県別府市レストラン東洋軒は、中華料理を主体とした大分の郷土料理である名物元祖とり天発祥の店です。現在は別府とり天の名で全国に広まってます。

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