豆舗 梅林堂の、いり豆は止まらなくなる / 東京 浅草 1876年創業 (明治9年)

高級店から大衆店、甘味・軽食・ディナーまで何でも老舗で揃えられる街、浅草。そんな浅草の仲見世通りにある老舗にお伺いしました。

1876年創業、仲見世通りの入り口で商売を続ける 豆舗 梅林堂

銀座線 浅草駅から徒歩2分ほど、仲見世通りの1軒目、雷門の真裏にある 豆舗 梅林堂。1876年(明治9年)に創業された、豆一筋で100年以上営業されているお店です。仲見世通りは1885年(明治18年)に東京府に全店取り払いを命じられ、同年12月に近代仲見世に再建された、という歴史を持っています。豆舗 梅林堂さんが1876年創業ということは、今の仲見世の姿になる前から営業している、かなり歴史の長いお店である、ということなのでしょうね。

こちらが店舗外観。仲見世の人通りが多い中で、奇跡的に人がいないショットです!(寄り目は人が沢山い過ぎて撮れませんでした) 豆の種類は10種類前後ありました。迷った結果2つ購入。こんな感じで緑の包装紙に入れてくれます。
購入したものその1、カレー豆。カレーの味がほんのり香る美味いやつ。手が止まらずずっと食べてましたw。購入したものその2、かた豆。そら豆を皮ごといった豆だそうで、お店の方にお薦めしてもらいました。昔ながら感が最高。
老舗巡りを始めて、いり豆を食べることが増えましたが、いり豆、おやつにもお土産にも最高ですね。美味しい上、体に良さそうだし(多分)、日持ちもするので、ちょうど良いなぁと。お茶にもお酒にも合うのも素敵。夏場ビールと一緒に食べるとかも良さそうですね。

——- 豆舗 梅林堂 基本情報———-
〇創業年 1876年創業 / 明治9年創業
〇営業時間
10:00~18:00
※火曜日 定休日
〇住所
東京都台東区浅草1-18-2
(食べログ)⇒ 豆舗 梅林堂 – 浅草/和菓子 [食べログ]

1件のコメント

  1. ・私は。昔から浅草では余り表の辺りを歩きませんし、最近は殊更、仲見世などの観光客が多い場所に近づかないので、今も在るのかどうかは存じませんが、かなり前からこの豆舗梅林堂の確か一軒置いて並び(雷門から3軒目?)に激安の人形焼や雷おこしなどを売る店がありました。そしてその店の上の看板には“創業享保年間 元祖 紅梅焼”と書かれていました。そうなんです。そこは以前は江戸期から続く“紅梅焼”とか“ぶどう餅”とかを売る“本家 梅林堂”で、以前は豆舗と元祖争いのような雰囲気でした。いつの間にか看板の紅梅焼等が消えて、人形焼やおこしだけ扱うようになったのですが、店自体が過去から同じままなのか別なのかは存じません。
    ・“本家 梅林堂の”の“紅梅焼”とは、浅草寺境内に在った梅の名木に因んで梅の花の形をした薄くパリパリする小麦粉のせんべいでした。私も特に地方への手土産に詰め合わせをよく購入したものでした。ここが元祖で、江戸のあちこちに紅梅焼屋ができて、“西の八つ橋 東の紅梅焼”と謳われ、江戸末期以降には江戸駄菓子の一つとして人気だったそうです。(漱石の“坊ちゃん”にも、“(下女の婆さんの清が)折々は自分の小遣いで金鍔や紅梅焼を買ってくれる”と、出てきます。)
    ・“紅梅焼”は浅草から派生したのでしょうが全国各地にもあって、三重県桑名市多度大社の門前町では、山椒風味の堅焼きが江戸期の安政年間に考案されて、明治4年創業の紅葉屋などで、八壺豆(多度豆)と共に未だに名物なんですよね。それは多度八景の一つである野々宮梅林の紅梅を模ったものだそうです。他にも、東大阪市の石切神社門前町や四国にもあるそうです。但し、同じ“紅梅焼”を名乗っても、甲府など山梨県のものは、外側は堅めでも中は柔らかくて甘いソフトクッキーのようなもので日常的な菓子だそうです。

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