藤田屋の大あんまき、全員が大好きなお菓子 / 愛知 知立市 江戸時代創業
愛知県中部(西三河地方)の知立(ちりゅう)市は、1970年(昭和45年)の碧海(へきかい)郡知立町から市となり…
続きを読む →愛知県中部(西三河地方)の知立(ちりゅう)市は、1970年(昭和45年)の碧海(へきかい)郡知立町から市となり、名古屋鉄道主要路線・国道等の主要幹線道路が複数通り、自動車工業が盛んで名古屋市のベッドタウンでもあります。112年(景行天皇42年)創建の知立神社(三島大社・熱田神宮と共に東海三大社)の鳥居前町として古くから発展し、江戸時代は刈谷藩領・陸奥国福島藩(後の重原藩)領で、馬市・木綿市で知られた池鯉鮒(ちりふ/ちりゅう)宿(東海道五十三次の39番目、知立神社の御手洗池の多数の鯉・鮒由来とされる表記)の宿場町として栄えました。地名には7世紀後半に知利布(ちりふ)・8世紀に知立・平安期に智立と表記の記録があって、知立神社創建の伊知理生命(いちりゅうのみこと)由来説もあります。八橋町(やつはしちょう)は、伊勢物語第九段(東下り)に登場し、在原業平が和歌を詠んだと伝わる“かきつばた”の名所で、伝承で逢妻川に架かっていたとされる八枚の板橋が町名由来であり、花札“菖蒲に八橋”の舞台ともされ、京銘菓“八つ橋”のモチーフ・名称由来説の一つにもなっています。伝統工芸の三河仏壇・きしめん・あんまき・大あんまき・馬肉どて煮等が特産品・名物で、市内には老舗の飲食店・和菓子店などが残っています。
愛知県中部(西三河地方)の知立(ちりゅう)市は、1970年(昭和45年)の碧海(へきかい)郡知立町から市となり…
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