欄干橋 ちん里うの梅干しと、おぼろ田夫 / 神奈川 小田原 1871年創業 (明治4年)  

戦国時代の後北条氏や江戸時代の小田原藩の城下町として栄え、およそ400年前に東海道五十三次中で最大の規模であった9番目の小田原宿が設けられて賑わった神奈川県小田原市。古名の「小由留木」(こゆるぎ、「淘陵」とも表記)の草書体を読み間違えた説や、原野を開墾して小田となったとの由来説があります。西湘地域の核であり永らく箱根観光の拠点でもあって、豊かな自然の中で海山の産物に恵まれ、蒲鉾や梅干などの特産品で全国に知られており、各所に老舗の飲食店・和菓子店・食品店などが点在しています。

1871年創業、料亭 枕流亭(ちんりゅうてい)から漬物・梅干し専門店と転身した 欄干橋 ちん里う

小田原駅から徒歩15分ほど、バスで5分ほどの場所にある 欄干橋 ちん里う。ちん里うさんの歴史は、小田原藩主に創業者の小峯門弥氏が招かれたことから始まります。彼は1871年(明治4年)に、料亭  枕流亭(ちんりゅうてい)を創業され、2代目の方の時に、欄干橋(現 十字町)に漬物・梅干し店を立ち上げられました。その際に、名前を ちん里う(ちんりう)とされたそうです。
※駅前にはちん里う本店さんがあり、同様の歴史が書かれています。どちらも創業家と同じ苗字の小峯家が運営されておりますので、どこかで2つに分かれたと考えるのが良いのかもしれません。こちらのページに少し歴史が載っております。

小田原は梅干しが古くから作られてきた土地です。元々は北条早雲氏の時代に、梅干の効能と腐敗防止作用に注目し、城下に梅干し作りを奨励したことに始まるそう。戦時中には、紫蘇に巻いた汚れない梅干し(落としてしまっても紫蘇を外せば梅干しが食べられる)として重宝されたのだとか。そんな歴史を持つ小田原は、今も梅の木が育てられ、梅干しを作り続けていらっしゃるお店が残っています。

こちらが店舗外観、見るからに老舗!という僕好みの外観。 少し正面から。梅干、佃煮、梅酒といった言葉にウキウキしますね。
お店に入るとまず目に飛び込んでくるのが梅干し。沢山の種類があって悩んでしまいますね…。
嬉しいのは、1個ずつパッケージした梅干しがあること。お土産に使いやすい!

欄干橋 ちん里うさんは、梅干し以外にもお漬物、佃煮を販売されています。美味しそうだなぁ。

今回は粒選り三年漬け梅干を購入。 取り出した図。うちの家族は僕以外梅干しを食べないので、一つずつの小分けは助かります。しょっぱさが適度でご飯が進みます。美味しい! もう一つ購入したのが、おぼろ田夫。昔田麩のことを田夫と記載したそうで、昔ながらの名前で販売していらっしゃいました。
こちらの田夫は、タラの身で作られたもの。 ご飯に乗っけるとこんな感じ。ちょっと甘い、けど、それが良い。食べてると、おばあちゃんが作ってくれた手作り田麩を思い出します。

小田原が梅干しで有名と知ったのは、この活動を始めた後でした。お寿司屋さんや和食の店で、「うちは小田原の梅干を使っていて」という言葉を何度か耳にしたんですよね。梅干 = 和歌山と思い込んでいたので、初めて知った時はびっくりしました。上述した通り、北条早雲氏によって奨励されたことにより始まったもので、それが現在にも脈々と続いているんですよね。過去の歴史が紐解いて、自分の目の前に現れた瞬間に少し心が躍ります。たぶんこういうことを知りたくて、僕はこの活動をしているんだなぁと。

———欄干橋 ちん里う  基本情報———-
〇創業年 1871年創業 / 明治4年創業
〇営業時間
11:00~19:00
※不定休
〇住所
神奈川県小田原市本町4-2-37
(公式サイト)⇒梅干 漬物 小田原の老舗 | 欄干橋ちん里う

 

4件のコメント

  1. ・和歌山や小田原に限らず、梅林在る處に梅干し有りです。梅花に所縁の元号になったところで、梅の花や実に関連の老舗特集も面白いかも。
    ・吉野梅郷として名高かった都下青梅市の4万本超の梅樹は本邦初の疫病感染で伐採されてしまい、再植樹は始まりつつあるものの又楽しめるのはいつになることやらで残念至極です。
    ・他に大規模な梅林としては名高い一つが偕楽園が在る水戸でしょうね。天保創業で梅干しの吉田屋とか、嘉永創業で水戸の梅や吉原殿中等の和菓子の水戸銘菓亀じるしとか老舗揃いです。
    ・一寸風変りな知る人ぞ知る處は、三百数十本の梅樹を植えて文化元年に開設された東京墨東の、向島七福神発祥の地である向島百花園(今は都立公園)です。開設当初に三百数十本の梅樹を植えて、梅は百花に魁て咲く、ところから命名されたとの由。園内には、高貴な武家や僧侶の休み處として元は酒井抱一設計と伝わる御成座敷が在り(但し戦災で焼失し戦後に再建)、要事前予約で会食等に使用できます。私も嘗て何回も月見の会や虫ききの会等で当時のおばあちゃん手作りの絶品の塩むすびなど賞味したことでした。隣接して、開設者で向島七福神考案者の佐原鞠塢の子孫が運営する茶店さはらが在り、梅干しや菓子などの土産品があります。尤も、今は梅干し等を自家製造していないので老舗品とは云えなくて、江戸期の向島百花園開設者の後裔が未だにやっていると云う程度の存在にしか過ぎませんが。

  2. ・私の前コメントで、向島七福神と表記しましたが、通常は隅田川七福神と称されていますので念の為。
    ・又、向島百花園を開設した佐原鞠塢が同七福神の考案者と記しましたが、実相は、佐原鞠塢がたまたま福禄寿像を所有していたので、友人の太田蜀山人や谷文晁等が付近の六社寺を探して七福神を立ち上げたらしいです。以上、本筋から離れた些末事ですが追加情報まで。

    1. お返事遅れました。
      バタバタがずっと収まらず、で良くない傾向です。
      3連休で少し落ち着きを取り戻しつつありますが…。

      ・梅情報ありがとうございます!
      水戸が梅で有名なのは、珍しく?把握しておりまして、
      あさ川さんの紫蘇でくるんだお餅を食べてみたいなぁ、と思い続けています。
      近いようで遠いので、水戸に伺ったことがないのです…。
      今年中には行ってみたいと思います。

      ・向島百花園、御成座敷、茶店さはらのことは知りませんでした。
      調べてみたところ、現在 御成座敷のご飯周りは、茶店さはらさんが提供なさっているようです。
      御成座敷の予約はちょっとハードルが高いので(人数を集めるという意味で)、
      まずは茶店さはらさんに伺ってみようと思います!

      http://www2u.biglobe.ne.jp/~bokutei/zasiki/zashiki1.htm

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