大分県西部に位置する「九重町」は、「九州の屋根」と称される九重山群の北麓に広がる、圧倒的な大自然と大地のエネルギーに満ちたまちです。1955年(昭和30年)に東飯田村・野上町・飯田村・南山田村が合併して誕生しました。観光や山岳の文脈で使われる「くじゅう連山」の北側に位置することから、行政上の町名は「九重(ここのえ)」と読み分けられます。町域の多くを山林や広大な飯田(はんだ)高原が占め、標高350mから1,050m付近に点在する集落は、内陸山岳地特有の寒暖差の激しい気候の中で独自の風土を育んできました。雄大なくじゅうの峰々、四季折々に表情を変える湿原、湯けむり立ち上る温泉郷、そして寒暖差が育む豊かな食。玖珠郡の中でもひときわ自然資源の色彩が濃く、地球のダイナミズムを五感で味わうことができる魅力あふれるまちです。
1864年創業、三代目と杜氏の名から生まれた銘酒「八鹿」 八鹿酒造 (やつしかしゅぞう)
JR久大本線・恵良駅から徒歩3分ほど、九重IC・玖珠ICからそれぞれ車で15分前後の場所、玖珠郡九重町右田に蔵を構える 八鹿酒造株式会社。創業は1864年(元治元年)、九重連山の伏流水が流れ込む玖珠盆地で、初代・麻生東江氏が「舟来屋」の屋号で酒造りを始めたのが起源です。仕込蔵には今も舟来屋を示す鏝絵(こてえ)が残り、九州で現存する最古の鏝絵蔵として知られています。中興の祖として名前が残るのが三代目・麻生観八氏。15歳で麻生家へ養子に入った観八氏と、杜氏・仲摩鹿太郎氏とともに醸した酒は、当初は「龍門」と名付けられましたが、評判が高まると観八氏は自らの「八」と鹿太郎氏の「鹿」を一字ずつ取り、酒名を「八鹿」と改め、これが現在の社名の由来となりました。1967年に八鹿酒造株式会社へ組織変更し、現在は七代目・麻生益寛氏のもと、清酒「八鹿」、麦焼酎「銀座のすずめ」、スパークリング日本酒やリキュールまで幅広く展開。「時代のおいしさをあなたに」を掲げ、九重連山の伏流水と寒造りに適した気候を生かした酒造りを続けています。
という、八鹿酒造さんの”なしか!”を購入しました。右上には「第3の麦」のコピーが。パッケージのイラストは、なしか坊やというそうです。ちなみに「なしか!」の意味は大分弁で「なぜか」、「どうして」といった意味だそう。
パッケージ裏側です。ここでなく隣の原材料欄を撮ったほうが良かったですね。ここにはパッケージの捨て方が記載されていました。
なしか!、大分に行った際に居酒屋で飲みまして、飲みやすいなぁと感じ買ってきました。麦らしい、すっと入る感じの焼酎です。コピーにあった第3の麦の意味は複数の意味合いがあるそうですが、その1つは「いいちこ」、「二階堂」に続く第三勢力になる、という意味合いが込められているそう。都内ではあんまり見かけない気もしますが、大分ではかなり見かけたので、一定のシェアは持っていそうですね。また大分に行ったら飲まないとだ。
