竹林堂の塩饅頭は、美人のアイデア / 山梨 南巨摩郡富士川町 1903年創業 (明治36年)
山梨県の南西部から南部にかけての南巨摩(みなみこま)郡は1878年(明治11年)発足時の郡域から拡大され、現在…
続きを読む →山梨県の南西部から南部にかけての南巨摩(みなみこま)郡は1878年(明治11年)発足時の郡域から拡大され、現在は早川(はやかわ)町・身延(みのぶ)町・南部(なんぶ)町・富士川(ふじかわ)町の4町(ちょう)が属し“峡南(きょうなん)”とも称されています。巨摩の由来には、多くの御牧(みまき、古代朝廷直轄牧場)での良馬(駒)産出説や高句麗系渡来人に因む“高麗”転訛説があり、江戸時代には甲府藩領から幕府直轄領化されました。県内西端町で静岡県に接する早川町は、国内最少人口(1千人未満、約4割が望月姓)の町で、中央を町名由来の早川(富士川支流)が貫流しており、藤原真人(鎌足長男)開湯と伝わる西山温泉や奈良田温泉等の温泉が町内に点在し、飛鳥時代の705年(慶雲2年)創業の世界最古の旅館(ギネス世界記録認定)“慶雲館”で知られ、身延山・七面山参道の宿場として栄えた赤沢には伝統的建造物が残っています。雨畑硯・茂倉瓜・山菜・生芋蒟蒻・蕎麦・白鳳味噌・早川町ジビエ(鹿肉)・ハム・ソーセージ等の特産品があります。身延町は日蓮宗総本山の身延山久遠寺の門前町として栄えて来て、南都留郡富士河口湖町に跨る本栖湖や下部温泉の湯治・天然水などで知られています。地名由来には、うずくまる蓑姿農夫に似た身延山形から“蓑夫(みのぶ)”との表記が日蓮入山後に“身を延ぶる山(寿命無量・延寿の山)”と改称したとする説・富士川沿いの水辺(みのべ)説・尾根筋が延びた土地で峰延説等の諸説があります。手漉き西島和紙・あけぼの大豆・豆腐・湯葉・味噌・蒟蒻・蕎麦・南天のど飴・南天ワイン・身延饅頭・竹炭ロールケーキ等の特産品・名物があります。南部町は県最南端の町で中央部を富士川が縦断し、町域の9割は森林地帯です。かつての領主・加賀美光行(甲斐源氏の祖・加賀美遠光三男)が南部氏を名乗り、後に陸奥国に移ったことから奥州南部氏の発祥地とされ、江戸時代には舟運で栄えました。古くから林業が盛んで、南部の木(杉・檜)・南部茶・筍・果実(富有柿・赤梨等)・川魚(鮎・やまめ・あまご・いわな等)・メンマ等の特産品があります。北部の富士川町は郡内最大人口の町で、西には櫛形山がそびえ、東には富士川が流れ、急流で知られる鰍沢は江戸時代には米・塩等の舟運で栄えました。雨畑硯・柚子・椎茸・ラフランス・穀類・味噌・清酒・柚子ワイン・紫蘇ジュース・栗せんべい等の特産品・名物があります。郡内には老舗の飲食店・和菓子店・食品店・酒蔵・旅館などが残っています。
山梨県の南西部から南部にかけての南巨摩(みなみこま)郡は1878年(明治11年)発足時の郡域から拡大され、現在…
続きを読む →山梨県の南西部から南部にかけての南巨摩(みなみこま)郡は1878年発足時の郡域から拡大され、現在は早川町・身延…
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