宇栄喜号本舗、落花生いさごを食べる / 大分 豊後高田市 明治期創業(150年)
大分県北東部、国東(くにさき)半島の西側に位置する「豊後高田市」は、周防灘に面した美しい海岸線と、緑豊かな山間部の谷筋が織りなす、歴史と絶景に彩られたまちです。2005年(平成17年)に旧豊後高田市・真玉町・香々地町が合…
続きを読む →大分県北東部、国東(くにさき)半島の西側に位置する「豊後高田市」は、周防灘に面した美しい海岸線と、緑豊かな山間部の谷筋が織りなす、歴史と絶景に彩られたまちです。2005年(平成17年)に旧豊後高田市・真玉町・香々地町が合併して誕生しました。
「豊後高田」という市名は、大分県の大部分を占めた旧国名「豊後」と、鎌倉時代初期にこの地を治めた高田氏にちなむ「高田」が結びついたものです。桂川下流の高田地域は、中世の築城から港町、そして近世には商業地として発展を遂げ、その歴史的な町割りが現在のまちづくりの基盤となっています。
この地は古くから宇佐神宮の強い影響を受け、平安時代には神仏習合の山岳仏教「六郷満山(ろくごうまんざん)文化」が華麗に開花しました。宇治平等院鳳凰堂や平泉中尊寺金色堂と並ぶ「日本三阿弥陀堂」の一つであり、九州最古の木造建築物として国宝に指定されている「富貴寺(ふきじ)大堂」や、鬼が一夜で99段の石段を築いたという伝説が残る国内最大級の「熊野磨崖仏(国指定重要文化財)」など、千年の祈りが今も息づいています。また、水田やため池、クヌギ林が一体となった「田染荘(たしぶのしょう)小崎」の農村景観は、“生きた荘園遺跡”として国の重要文化的景観に選定されています。
市の中心部では、桂川沿いの古い町並みを活かした奇跡の地域再生「豊後高田昭和の町」が人々を迎えます。昭和30年代の活気をテーマに、各店舗が代々伝わるお宝の展示(一店一宝)や自慢の商品(一店一品)を販売しており、作られたテーマパークにはない「本物の人情と温もり」に触れることができます。昭和32年式のボンネットバスが走る風景は、訪れる人を優しい記憶の彼方へといざないます。
海辺へと足を向ければ、大分県内で唯一、水平線に沈む夕陽を望むことができる「真玉(またま)海岸」が広がります。干潮と日の入りが重なる日には、干潟の縞模様が夕陽を反射して見事な水鏡となり、「日本の夕陽百選」にも選ばれる絶景を描き出します。この海岸線を通る国道213号沿いは「恋叶(こいかな)ロード」と呼ばれ、春に菜の花、夏にひまわりが咲き誇る「花とアートの岬・長崎鼻」とともに人気のドライブルートとなっています。
豊かな風土は極上の食も育んでいます。ミネラル豊富な砂地で栽培される西日本一の産地「白ねぎ」は特有の強い甘みが特徴です。また、春と秋の年2回栽培される「豊後高田そば」は農業と観光を結びつける地域資源であり、明治期から栽培され一時は幻となった「落花生」も、現在県内最大の生産面積を誇る特産品として見事な復活を遂げています。
地名に刻まれた旧国名と領主の記憶、六郷満山がもたらした千年の歴史、昭和の人情が息づく商店街、魔法のような夕景、そして大地が育む豊かな特産品。豊後高田市は、時代を超えた多様な物語がひとつのまちの中で見事に調和する、大分県北東部を代表する歴史文化都市です。
大分県北東部、国東(くにさき)半島の西側に位置する「豊後高田市」は、周防灘に面した美しい海岸線と、緑豊かな山間部の谷筋が織りなす、歴史と絶景に彩られたまちです。2005年(平成17年)に旧豊後高田市・真玉町・香々地町が合…
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