塩竈銘菓・丹六園の志ほがま(しおがま) / 宮城 塩竈市 1720年頃創業 (享保5年)

宮城県ほぼ中央部で太平洋(仙台湾及びその内側の塩釜湾)に面し、松島湾と松島丘陵とに囲まれた塩竈(しおがま)市は、1941年(昭和16年)に宮城郡塩竈町から市となり、1949年(昭和24年)同郡多賀城村一部を、1950年(昭和25年)に同郡浦戸村を編入し、1996年(平成8年)に同郡利府町と境界変更して現市域となりました。地名はかつて国府津(こうづ、陸奥国府の港)とも称されましたが、鹽竈神社及び同境内の志波彦(しわひこ)神社の鳥居前町として栄えて“しおがま(塩竈・塩釜・鹽竈・鹽釜)”が定着しました。塩釜港(第二種港湾)を擁し水産業が盛んで、生鮪水揚げ・魚肉練り製品(笹蒲鉾・板蒲鉾・はんぺん・薩摩揚等)生産は全国一で、塩鯖・塩竃の藻塩・味噌・醤油・清酒(浦霞等)・銘菓(生どらやき・志ほがま・長寿樂・鹽万壽等)等の特産品・名物があります。1平方㎞当たり及び人口当たりの寿司店数は全国で最多数で、市内には老舗の料理店・飲食店・和菓子店・和洋菓子店・食品店・醸造店(味噌・醤油・清酒)などが残っています。

1720年頃創業、廻船問屋として始まった 丹六園 (たんろくえん)

本塩釜駅から徒歩6分ほど、塩釜駅から徒歩19分ほどの場所にある 丹六園。1720年頃に菓子舗・古梅園の六番目の子として生まれた丹野六右衛門氏が廻船問屋として創業し、第二次世界大戦後・9代目の時代にお茶の扱いを始め、10代目の時代に古梅園が伊達藩の御用菓子・志ほがまを作っていたことを知り、1950年(昭和25年)に塩竈銘菓、そして宮城銘菓としても知られることとなった志ほがま(志ほかま、志ほか満、しおがま、しほかま等複数の表記あり)の製造方法を復元し発売するに至りました。

という、丹六園さんの外観です。この日物凄い雨だったことがわかる写真となりましたw。

こちらが志ほがまです。和菓子の世界で軟落雁を「しおがま」と呼ぶそうですが、そのルーツが塩竈で作られていた志ほがま、となります。

という、丹野家と志ほがまのことの説明です。

という志ほがまを購入してきました。丹の文字が印象的な包紙です。

パッケージ裏側です。志ほがまは、見た目は落雁に似ていますが、もち米粉をベースに、上白糖・水飴・塩・紫蘇で味付けされています。

という志ほがまの箱です。

裏側からになりますが、天然記念物の鹽竈桜の模様がどーんとある打菓子です。

こちらを割って食べていきます。ほのかな塩気と紫蘇味が爽やかで美味しい。他であまり食べたことない味かも…!

志ほがまの由来が書かれている紙も入っていました。

ぱっと見の印象は落雁に近く、固いお菓子かと思いきや、結構柔らかい生菓子のような感覚のあるお菓子です。甘さはさほどなく、どちらかというと塩味と紫蘇味が印象的なお菓子です。唯一無二な感じがあって好きです。塩竈行ったらまた買いたい…!

——丹六園 (たんろくえん) 基本情報———-
〇創業年 1720年頃創業 / 享保5年創業
〇営業時間
・8:30-17:00
※無休
〇住所
宮城県塩竈市宮町3-12
(食べログ)⇒ 丹六園 (たんろくえん) – 本塩釜/和菓子 | 食べログ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です