復活した來々軒で、青竹打ちのらうめん。日本のラーメンブームスタートのお店 / 神奈川 横浜市港北区・新横浜 1910年(​明治43年)創業店にルーツ

神奈川県庁所在地である横浜市の港北区は、1939年(昭和14年)に横浜市編入の都築郡各町村と神奈川区一部とを以て発足し(区名は横浜港の北の意味)、1969年(昭和44年)に旧・緑区(現在の緑区・青葉区及び都筑区一部)分区や一部の保土ヶ谷区への転出を経て1994年(平成6年)に区北西部地域(港北ニュータウン等)が都筑区として分区されて現区域となりました。戦前・戦後は綱島温泉が栄え、現在は大倉山公園(梅林)等の随所に緑地が残り、慶應義塾大学(日吉・矢上キャンパス)等の文教施設も多く、発展した新横浜駅周辺には新横浜ラーメン博物館が、小机町には横浜国際総合競技場(日産スタジアム)が立地しています。農業も盛んで小松菜・ほうれん草等が栽培され、区内には老舗の飲食店・食品会社などが残っています。

1910年創業店にルーツ、日本のラーメンブームスタートのお店 來々軒 (らいらいけん)

新横浜駅から徒歩5分ほどの場所にある 新横浜ラーメン博物館。このラーメン博物館では、”元祖ラーメン店”、”ラーメンブーム発祥のお店”と呼ばれることがある、1910年(明治43年)に尾崎貫一氏が浅草で創業した來々軒さんが、2020年10月に復活を果たし、営業をされています。復活したお店は創業者の孫・髙橋邦夫氏と、玄孫・髙橋雄作氏によって運営されています。

來々軒さんは元祖ラーメン店と称されることも多いですが、新横浜ラーメン博物館さんでは、ラーメンの発祥店は諸説あり明確にわからないことから、來々軒さんを「日本のラーメンブームスタートの店」と定義されていらっしゃいます。

というラー博の外観です。来るの10年以上ぶりです。

博物館内に入りました。昭和レトロをイメージした内装です。この時代に生まれてなくても懐かしい気分になれますね。
私がお伺いした時はこの7店舗のラインナップでした。
で、來々軒さんです。明治四十三年創業とありますね。 食券を買って店内に入ります。多言語端末からも、ラーメンの世界的人気が伺えますね。 メニューはこんな感じでした。らうめんがメインメニューで、数量限定で青竹打ちの麺をチョイスできます。今回ラッキーなことにオーダーが出来ました。 席に着くとこんなPOPが。2021年11月が來々軒復活1周年で、記念メニューが販売されていました。

で、出てきたのがこちらです。クラシカルな東京の醤油ラーメンって感じのルックスです。ネギの散らし方とかはおしゃれですがw。 少しよりで。どこまで当時の味なのかわからない部分はありますが、麺もスープもできる限り再現しているとのこと。スープは煮干しと醤油の味がしっかり効いていて、東京の醤油ラーメンの進化系って感じのモダンな味がしました。凄く美味しかったです。 ラーメン博物館の1Fにはラーメン史が掲示されていて、來々軒さんお記事も載っていました。こちらには日本最初のラーメン店と紹介されていますね。 1927年ごろのメニュー表も。やきとりや鳥天、肉団子等々、一品メニューも充実していたのですね。あぁ、タイムスリップしてお店に行ってみたいw。

來々軒さんのお話に戻すと、1910年の創業後、戦時中の1944年(昭和19年)に出征のために一時閉店し、戦後1945年(昭和20年)に東京駅八重洲口で再開し、1965年(昭和40年)に内神田に移転、その後1976年(昭和51年)に後継者がいなかったため閉店をされています。來々軒をルーツを持つお店としては、千葉市の進来軒さん、郡山市のトクちゃんさん、目黒区祐天寺の来々軒さんが残っています。いずれ全てのお店に行きたいなぁ。

———來々軒  基本情報———-
〇創業年 1910年創業 / ​明治43年創業店にルーツ
〇営業時間
・11:00~20:30
※12/31、1/1 定休日
〇住所
神奈川県横浜市港北区新横浜2-14-21 新横浜ラーメン博物館内
(公式サイト)⇒來々軒 – 店舗情報 – 新横浜ラーメン博物館

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