ますのすし本舗 源、ますのすしミュージアムでますのすし / 富山 富山市 江戸末期創業

富山県の県庁所在地である富山市は、2005年(平成17年)に旧・富山市と6町村とが合併して発足しました。47都道府県庁所在地中2位の総面積は県の約3割で、1市町村が都道府県に占める割合では全国一となっています。米・梨・葡萄・イチジク等の農産物や富山湾のホタルイカ・シラエビ・ズワイガニ・寒鰤等の豊富な魚介類が特産です。かつては神通川に遡上していた鱒による鱒寿司が名産で、市内には多数の製造・販売店があり、“月世界”等の和洋菓子店・“満寿泉”等の酒蔵や飲食店なども多く、老舗が点在しています。

江戸末期創業、旅館・料亭そして駅弁業へと進出した ますのすし本舗 源

栗山のバス停から徒歩10分、富山駅から車で20分程度の場所にある ますのすし本舗 源。江戸末期に源梅山氏が料理を主体とした旅館 吉川屋を創業したことでその歴史が始まります。明治初期には、天人楼・日新楼の主人を源金一郎氏、源松山氏がつとめ、1900年(明治33年)に富山ホテルを創業されています。駅弁に進出したのは1908年(明治41年)で、その4年後の1912年(明治45年)に今につながる「ますのすし」を販売されます。今や富山といえば鱒を使ったお寿司が一般的と感じますが、当時はあゆのお寿司の方が知名度が高かったのだとか。

という、源さんの本社へやってきました。なんとミュージアム併設なんです。

こちらが入り口です。富山ますのすし、期間限定さくらますののぼりが出迎えてくれました。

入るとまずは売店が出迎えてくれます。こちらは一旦スキップし、ミュージアムへ向かいます。

入り口の看板から熱い気持ちになれます。我々は自然の恵みを頂いているのです。

そして、源100年の歴史です。ここでの歴史は、源金一郎氏による富山ホテルのお話からですね。

ミュージアムはざっくり分けると、お弁当&駅弁のお話と、ますのすしのお話にわかれています。こちらはお弁当編で、お弁当箱のお話です。

そして、日本各地の駅弁の包み紙が。見てると全部食べたくなる。

進んでいくと、ますのすしの製造風景を見られます。事前予約すると体験もできたりします。

お、ますが置かれています。

俺たちのますのすし、こうやってつくられるのね。 こちらはますのすしの歴史です。鱒の個性、そして天候によって酢加減が変わるのです。ミュージアム出口のコメント。もてなしのこころが、ますのすしの原点です。ええ言葉ですね。

ミュージアムには、レストランスペースもあり、ますのすしの出来立ても食べることが出来るのです。

もちろん、普通のお食事もありますよ。

行ったら食べないとですよね、ということでオーダーしました。やっぱりますのすし大好きだ、を再確認できます。ってか、こうやって2切れとかでオーダーできるのめっちゃ助かるよね。ホールは1人で食べ切るの辛かったりもするので。
別タイミングでは源さんから「ますのすし 特選」をお取り寄せしています。パッケージは、ますのすしファンであった中川一政画伯です。 鱒寿司の歴史がパッケージに載っていました。享保2年(1717年)に、富山藩士吉村新八氏が前田利興公が、八代将軍徳川吉宗公に献上したという歴史が残っています。 ということで、ますのすし、に戻ります。もうこの時点で匂いがやばい。

開けると笹の葉で包まれています。笹の葉をオープンした図。もうさ、美味しいの確定してますよね! 切り分けて食べた図。あぁ、日本人で良かったって味がします。いつ食べてもやっぱり美味しい。東京と富山で2拠点生活をしているので、ますのすしを食べる機会が多いです。すっかり好きな食べ物の1つとなりました。ミュージアムで作る工程をみることは出来たので、今度は自分で作るのにチャレンジしたいです。涼しくなった頃行きたいなぁ。

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———-ますのすし本舗 源 基本情報———-
〇創業年 江戸末期創業
〇営業時間
・当面の間10:00~15:00
〇住所
富山県富山市南央町37-6
(公式サイト)⇒ ますのすし本舗 源

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