杉田梅にちなんだ梅さやかを菓子一で / 神奈川 横浜市磯子区 1922年創業 (大正11年)

神奈川県庁所在地・横浜市の南東部にある磯子(いそご)区は、JR根岸線や複数の幹線道路により交通至便であり、中央部を国道16号線が南北に通る帯状に長い地形で、丘陵部は洋光台・汐見台等の大規模団地や住宅地となっており、沿岸部は根岸湾埋立地が大半の工場地帯です。旧・久良岐(くらき)郡磯子村は古代から開け、鎌倉時代には源頼朝御家人だった三浦氏の一族とされ平氏を称した平子(たいらこ/たいらご/ひらこ)氏が治め、横浜地域のほとんどが天領・旗本領だった江戸時代には半農半漁の地で杉田梅林が観梅名所でした。磯子の地名由来には“砂(いさご)”説や平子氏所縁説があります。区内には老舗の和菓子店などが残っています。

1922年創業、地元・杉田にちなんだお菓子を多数作っている 菓子一

京急杉田駅から徒歩5分ほどの場所にある 菓子一。1922年(大正11年)に創業された和菓子店です。日本一の菓子店になると願いが込められた店名とのことです。地元杉田にちなんだお菓子を作られていることで知られており、かつて有名であった杉田梅にちなんだお菓子も作っていらっしゃいます。
(後述しますが、今も杉田に梅はあるものの、かなり弱っていました…)

という菓子一さんの外観。こちらは斜め横から。

こちら正面から。創業大正十一年の青い暖簾がカッコ良い。

店内に入ると、物凄い種類のお菓子が迎え入れてくれます。なんと80種類以上もあるのだとか。この規模でこの点数は凄すぎる…。

沢山あって目移りしまくりますw。

また別のディスプレイはこんな感じ。

看板商品たちは、ディスプレイの上にも置かれていました。 磯かぜ、梅さやか、永仁の鐘、くるぎの里はきっとマストアイテムなのだな。
取材を受けた時の新聞記事も置いてありました。この後でご紹介する杉田にちなんだお菓子についても記事内で触れられています。

購入したお菓子には説明紙もつけてくださったのですが、杉田三昧という杉田にちなんだお菓子の3点セットがあります。その1、永仁の鐘です。菓子一さんの近くには、1301年に建立された東漸寺(とうぜんじ)さんがあるのですが、そちらの御住職からの依頼で作られたお菓子です。

こんな感じで鐘の形をしています。こちらは国の重要文化財に指定されている、物部国光作、永仁の鐘を題材に作られています。生クリームを使った柔らかくって甘い生地に紫芋を入れたあんこが入っています。和洋折衷な感じが美味しい。
こちらが永仁の鐘の説明紙です。

そして磯かぜです。こちらは海苔の産地として有名だった屏風ヶ浦海岸にちなんで作られたそう。

カステラを羊羹で包んだようなお菓子。これも美味しい!

そして梅さやかです。かつての杉田は地質の関係で作物があまり育てられず、領主・間宮信繁の指導で育てやすい梅を育てるようになりました。江戸時代には3万3万5千本を超える規模となり、杉田梅として知られていたそうです。今は地名に名残があるぐらいで、ほぼ杉田から梅はなくなってしまったそうです。
(一部残っている箇所はあったので、下で紹介しています) という梅さやかの中身。 梅の甘露煮を入れたお菓子で、甘さと酸っぱさのバランスがとても良いです。ちなみに梅は杉田梅の子孫が残る小田原から仕入れているそうです。杉田産ではなくなってしまっても繋がりがあるって素晴らしい。

こちらが梅さやかの説明紙です。

くるぎの里も購入しました。梅さやかの色違いパッケージです。 見た目は似ていますが、こちらは栗入りです。
せっかくなので最中も買いました。

直球に美味しいです。いやぁ、良いなぁ。

この日は知の冒険の中の人と一緒に訪問していたので、その後杉田梅の見学に行きました。菓子一のご主人に近くの妙法寺さんに梅が残っているよ、と聞きまして。

梅はちょうど実をつけていたのですが、木はだいぶ弱っているような印象を受けました。
こちら梅をアップで。少なくなったとはいえ、残っているのが素晴らしいですね。

菓子一さんはTwitterを頑張られいるのを発見し、お店のことを知り訪問しました。Twitterでは季節の和菓子を紹介されていて、見ているとまた伺いたくなります。今回は突然お伺いし中の人にご挨拶できなかったので、またお伺いして、今度は季節の一品を購入してきたいと思います。

——–菓子一 基本情報———-
〇創業年 1922年創業 / 大正11年創業
〇営業時間
・9:00-18:30 (日曜日は18:00まで)
※不定休
〇住所
神奈川県横浜市磯子区杉田1-12-29
(公式サイト)⇒菓子一|杉田・新杉田 和菓子

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