長野県南部(南信地方諏訪地域)の諏訪(すわ)郡は、江戸時代は諏訪藩(高島藩)領で、1879年(明治12年)の行政区画郡発足時には後の岡谷市・諏訪市・茅野市も含んでいましたが、現在は下諏訪町・富士見町・原村の2町(まち)1村が属しています。県ほぼ中央の下諏訪町は平安期には土武郷と称され、諏訪大社下社鳥居前町として中山道・甲州街道分岐の宿場町として栄え、1874年(明治7年)の筑摩県諏訪郡下諏訪町(村格)・友之町(村格)及び5村合併で発足の下諏訪村が1876年(明治9年)に長野県所属となり、1889年(明治22年)の町村制・下諏訪村から1893年(明治26年)に町制・下諏訪町となって、1958年(昭和33年)の岡谷市一部編入・1983年(昭和58年)の諏訪湖面積分割で現町域となりました。下諏訪・毒沢の温泉で知られ、花梨・公魚・鮒・寒天・凍餅・凍豆腐・銘菓(塩羊羹・信州あべ川餅・諏訪湖豆等)・清酒等が特産品・名物です。郡内には老舗の飲食店・和菓子店・食品店・酒蔵・複数の旅館(下諏訪温泉)などが残っています。
1918年創業、茅野・福田屋の暖簾分け店として始まった 福田屋本店
下諏訪駅から徒歩11分ほど、岡谷駅から車で15分前後の場所にある 福田屋本店。1918年(大正7年)、初代・佐野竹一氏が、修業元である茅野の福田屋から暖簾分けの形で下諏訪に、餅菓子店・福田屋を創業したことが始まりです。その後、茅野の福田屋が閉店となり、本店を継承することになりました。福田屋本店さんの名物といえば、安倍川餅。初代の竹一氏の家族が静岡県富士宮市から移住してきたことが、この名称と関係していそうですね。
(安倍川餅は、徳川家康も愛したという静岡の名物)
という、福田屋本店さんの外観です。暖簾には中仙道甲州街道分岐 下諏訪宿とあります。位置関係が分からずきていたけれど、宿場町だったのね。
店内に入りました。お菓子がきれいにディスプレイされています。
名物はこちら、信州あべ川餅です。
という、信州あべ川餅ですが夏の間は御射山(みさやま)餅と呼ばれています。8月26日・27日に諏訪大社で行われる御射山祭の時に、近辺の下諏訪の方々が食べるお菓子なのだとか。
中身はこんな感じです。静岡の安倍川餅は、あんころ餅&きな粉餅ですが、信州あべ川餅は、棒状のお餅に緑色のきな粉を塗したもの。素朴で旨い。

福田屋本店さんは、信州あべ川餅が名物だ、ぐらいの情報のみで訪問し、恐らく静岡と関係しているんだろうなぁと思っていたらやっぱりでした。静岡から伝わって、長野で愛されるって、なんか素敵な話ですね。しかも夏の間だけ御射山餅と名前を変えるとかも、複数の由来が絡まっているようで楽しい。こういうお菓子や歴史、大好きだなぁ。
———福田屋本店 基本情報———-
〇創業年 1918年創業 (大正7年)
〇営業時間
・9:00 – 17:00
※火曜日 定休日
〇住所
長野県諏訪郡下諏訪町矢木西25
(公式サイト)⇒ 福田屋本店 信州下諏訪のあべ川餅本店
