本州最西端で、関門海峡を挟み西が日本海に南が瀬戸内海に接する山口県内最大都市の下関市は、古くから港湾都市として栄え、かつては赤間関(あかまがせき)或いは赤馬関や略して馬関(ばかん)とも称されました。1889年(明治22年)発足の赤間関市から1902年に改称した旧・下関市(県内の上関・中関に対する呼称)が大正・昭和に近隣町村を編入し、2005年に豊浦郡4町と合併して現市となりました。河豚(ふく、全国8割)・鮟鱇(水揚げ全国一)・鯨(近代捕鯨発祥地)・海産物(雲丹・のどぐろ・平家蟹・特牛:こっといや角島の烏賊・連子鯛等)・柑橘類(西瓜・蜜柑・柚子等)・清酒等が特産品です。海産加工品(発祥地である瓶詰粒雲丹等)・豊浦漬・銘菓(阿わ雪・巌流焼・亀の甲煎餅等)・鍋料理・鯨料理・猪料理・瓦蕎麦等の名物・郷土料理があり、市内には老舗の料理屋・割烹旅館・和菓子店・食品店などが多数残っています。
1881年〜82年創業、数々の歴史の舞台に立ち会った 春帆楼(しゅんぱんろう)
赤間神宮前のバス停から徒歩1分ほど、下関駅から車で10分前後の場所にある 春帆楼。元々は江戸時代に医院を開院したことに始まり、1881年-82年(明治14年-15年)辺りに伊藤博文の勧めで割烹旅館を創業したことが、春帆楼の始まりとされています。春帆楼という名も「春うららかな眼下の海にたくさんの帆船が浮かんでいる様」から、伊藤博文が名付けたとされています。
という、春帆楼の本店へ伺ったのですが予約が取れず見学だけに。現在は宿泊・お食事・ブライダル等を展開されています。
大きすぎて全体像が撮れなかったのですが、丘の上に要塞のようなサイズのお店の外観でした。こちらが正面入口で、上部がホテルになっています。昭和天皇・香淳皇后が2度宿泊されていらっしゃいます。
春帆楼さんは歴史の舞台に何度も登場する場所です。こちらは日清講和記念館。日清戦争の講和条約である下関条約を締結した場所になります。凄い歴史だ…。
お店横にはふくの碑も置いてあります。春帆楼さんは1887年(明治20年)に、ふぐ料理公許第一号店となっています。ふぐの毒性から豊臣秀吉以来の河豚禁食令が出ていたのですが、その美味しさに気がついた伊藤博文が山口県知事に働きかけ、春帆楼さんがふぐ料理公許第一号店と認められたそうです。石碑の部分をアップで。出しちゃいけないはずのフグを出し、それを食べた伊藤博文が山口県知事にプレッシャーをかけるとか、今の時代だとポリコレ的に色々ありそうですねw。
という春帆楼さんの本店は、そもそも一人で予約ができず、ですので、今回は下関駅にある春帆楼茶寮 下関大丸店さんへお伺いしました。
こちらがメニュー表。1P目に先ほどの伊藤博文とふぐの件が書かれています。
そしてメニュー表です。せっかくなので、フグがいっぱい食べられる、ふくづくし御膳をチョイスしました。
ででーん、こちらがふくづくし御膳です。もう最高の味が確定していますね。
まずは、ふくたたき風サラダ。ふくはサラダになっても美味い!
そしてふく唐揚げ。衣まで超美味い。
こちらは、ふく一夜干し。味がぎゅっと凝縮された感じがあってとても美味しい。
そして、ふく刺し。美しさに泣いちゃうね。
ふく汁。出汁になっても美味いふく! ご飯はふく炊き込みご飯でした。最高にフグが堪能できました! 数々の歴史の舞台となった春帆楼、本当に建物が素敵だったので、本当は中も見学したかったし、何より中でご飯が食べたかった…。一人予約ができないお店は一人旅者には辛いですね。とはいえ、美味しいふく料理は春帆楼茶寮 下関大丸店さんで頂くことができたので、そこはラッキーでした。次回は泊まり含めて遊びに行きたいものです。お金稼がなきゃw。
———春帆楼 基本情報———-
〇創業年 1881-82年創業 / 明治14-15年創業
〇営業時間 (完全予約制)
・11:00~14:00
・17:00~22:00
※年中無休
〇住所
山口県下関市阿弥陀寺町4-2
(公式サイト)⇒【下関春帆楼】日本のふぐ料理公許第一号の老舗ふぐ料理店 | 全国各地の店舗、下関本店でのご宿泊、ご婚礼、通販サイトをご案内します。