日本三大料亭の1つ、新喜楽をランチタイムに / 東京 築地 1875年創業 (明治8年)

江戸時代に明暦大火で焼失した浅草西本願寺の代替地(現、築地本願寺)として佃島住人が埋め立てて出来た中央区築地。永らく海軍用地として使用され、その跡地には昭和初期に日本橋から魚河岸が移転し、世界一の魚市場と知られるまでになりました。魚市場が豊洲に移った現在も、場外市場等は多くの買物客や外国人などの観光客で賑わっており、老舗の飲食店なども数多く点在しています。

1875年創業、日本三大料亭・日本二大料理屋として知られる 新喜楽

築地市場駅から徒歩3分、築地駅から徒歩5分ほどの場所にある 新喜楽。1875年(明治8年)に、伊藤きんが日本橋茅場町にて喜楽の屋号で料亭を立ち上げられたことで、その歴史が始まりました。1898年(明治31年)には、当時大隈重信邸跡地だった現在の場所(築地場外市場の目の前)に移られ、その際に屋号を新喜楽とされています。
新喜楽さんは、大正時代創業の金田中さんと並び日本二大料理屋と呼ばれ、吉兆さんを加え日本三大料亭と呼ばれる日本を代表する料亭です。芥川賞・直木賞両選考会の会場としても知られていますね。新喜楽さんは紹介者がいないとお伺いできないお店なのですが、前回金田中さんにお伺いした際に女将さんから「良かったらご紹介致しますよ」と仰って頂き訪問が出来ました。人の繋がりって素敵!

という新喜楽さんの外観。築地場外市場の目の前にあり良く前を歩いていたのですが、ここが新喜楽さんと知らずにおりました。この大きなお屋敷は何だろう?と思っていたのですよね。珍しくジャケットを着ている私が映り込んでおりますw。

看板をアップで。割烹新喜楽と書いてあります(当初、料亭と書いていましたが、割烹が正解でした)。

一番乗りで着きました。お部屋の広さにびっくり。予約時に芸者さんを呼ぶかを聞かれたのですが、確かに来て頂いても十分な広さがあります。左側がお料理をいただくお部屋で、右側が待合室兼バーコーナーになります。

こちらがその待合室兼バーコーナー。このスペースだけでも私の部屋の数倍の広さです。豪華!

せっかくなのでバーカウンターを正面から。お酒は無知ですがわかります。高級なのが並んでますね。

お食事側のお部屋も1枚。ザ・日本な感じが堪らなく好きです。

後ろを振り向くとこんなにスペースが。サイズ感に緊張しますね。お昼ももちろんですがコース料理です。お献立が運ばれてきました。今日も美味しいことを確信!
先付けとしてやってきたのは、柿とりんごの白和です。スタートから果物を使っていてびっくり。上品な甘さが美味しかったです。向付です。お伺いしたタイミングが秋だと伝わってくるビジュアルです。松茸も美味しかった!
椀は、渡り蟹吉野葛仕立て。あぁ、和食の神髄だ!って味がします。お椀も最高に素敵なんです。こんな豪華なお椀見たことないよ。お刺身は、鮪、鯛、ボタン海老。ボタン海老がねっとり甘くって驚くほど美味しかった。刺身が美味しくなるって一体どんな魔法が…。 鰆、鶏、椎茸の幽庵焼。椎茸の濃さにやられました。菊花かぶのあんかけ。菊のビビットなカラーが良く出てて、芸術品かと思った。もちろん美味しい。

海老真丈揚。どうやったらこんなに美味しくなるのか不思議な味。
最後にご飯が出てきます。このコシヒカリ、きらきら輝いてました。

赤出しとイクラで頂きます。はぁ、日本人に生まれて良かった。
デザートは梨でした。素晴らしいお食事とサービスでした。優勝です。

前述の通り、金田中さんのご紹介で新喜楽さんにお伺いすることができました。料亭なので、味だけでなく、お部屋、サービス含めて最高の体験をすることが出来ました。今回はランチタイムでしたが、それでも当然結構なプライスではあるので、そう簡単に再訪出来ませんが、何か良いことがあった際にまた再訪したいなと思っています。再訪に足る良いきっかけを作ることが先ですねw。
新喜楽さん、金田中さんは、このサイトを立ち上げた際に行きたいと思っていたお店で、ついに両店訪問が出来ました。訪問して思うのは、このクラスのお店は、自分の知識が多い方が楽しめるであろう、ということ。もっと学んで次は更に深く楽しみたい!

——-新喜楽 基本情報———-
〇創業年 1875年創業 / 明治8年創業
〇営業時間
・予約制
〇住所
東京都中央区築地4-6-7
(wikipedia)⇒ 新喜楽 – Wikipedia

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