※2020年4月20日閉店と、公式サイトで発表されています。
毎度ご利用いただき誠にありがとうございます。
「歌舞伎と共に今に伝える江戸の味」を信念に、
百五十二年、多くのお客様にご愛顧いただきま
したが、諸般の事情により四月二十日をもって
閉店することにいたしました。
——–以下、元記事です——–
江戸時代に置かれた銀貨幣鋳造所(銀座)に地名を由来する中央区銀座は、明治時代に文明開化を象徴する町として銀座煉瓦街が建設されて栄えてきました。現在の銀座8丁目付近で芸妓能楽師に因んで称された金春(こんぱる)芸者で賑わった幕末からの花柳界が、明治政府高官などの贔屓により新橋花街として江戸時代以来の柳橋(現・台東区)と共に「柳新二橋」と称し発展し、昭和中期の最盛期を経て今も中央区築地にかけて10軒以上の料亭と数十人の芸者を擁しています。東京を代表する地域ブランドのショッピング街として、大繁華街として、また夜の高級な社交の場として今に至っており、各所に老舗の飲食店や和洋菓子店などが数多く点在しています。
1868年創業、歌舞伎座の目の前で弁当を販売して100年超 木挽町 辨松 (べんまつ)
東銀座駅から徒歩2分ほど、銀座駅から徒歩7分ほどの場所、歌舞伎座の道路向かいにある 木挽町 辨松 (べんまつ) 。1868年 (明治元年)に、創業された同店。同じお弁当屋さんで同じ名を持つ1850年(嘉永3年)創業の日本橋弁松総本店の暖簾分けというお話もありますが、日本橋弁松総本店さん側は否定をされています(私も木挽町 辨松で聞いたのですが、アルバイトの方だったようで、「暖簾分けなのでしょうか」とあやふやな感じの答えでした)。
とまあ、歴史は分からない部分がありますが、木挽町 辨松さんの外観です。最近リニューアルされたのか、高級感あるモダンな外観。 店内に入るとディスプレイにお弁当がズラリ。 逆サイドはこんな感じ。お弁当は赤=赤飯、白=白米で二つに分かれ、あとは量違いでバリエーションがある、といった感じ。
今回は懐石弁当の赤をチョイス。赤=お赤飯のご飯です。 いやー、こういう折を見るとテンションあがる。 じゃじゃーん、こちらが懐石弁当です。4つの部屋に分かれておかずとご飯が入っています。 左下がご飯。赤をチョイスしたのでお赤飯です。 右下は煮もの系。味はやや濃い目。 左上は玉子、練り物、栗。昔ながらのしみじみ美味いおかずです。 右上がメインっぽい、お魚やつくねなど。うん、美味い!
木挽町 辨松さん、昔から伺いたいなぁと思っていたのですが、オフィスのない働き方をしている私には、案外食べる場所がなく機会を逸しておりました。が、仕事先とお弁当食べながらMTGみたいな機会がありまして、足を延ばして買ってきた次第です。昔ながらのしっかりした味付けのお弁当、すっごく美味しかったです。これぞ昔ながらのお弁当!って感じ。これはリピートしたいぞ。
——木挽町 辨松 (べんまつ) 基本情報———-
〇創業年 1868年創業 / 明治元年創業
〇営業時間
・10:00~18:00 (木・日・祝は17時まで)
※定休日なし
〇住所
東京都中央区銀座5丁目14番1号
(公式サイト)⇒ 歌舞伎座前の弁当屋は木挽町辨松。新橋演舞場、明治座の観劇用弁当はお任せ。
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