奈良最古の和菓子店、本家菊屋の豊臣秀吉も食べた御城之口餅と菊之寿 / 奈良 大和郡山市 1585年創業 (天正13年)

奈良県北部の大和郡山市(やまとこおりやまし)は、1954年(昭和29年)に旧生駒郡郡山町が市制施行するに際し、大和国を強調し福島県郡山市と区別する意味で命名されました。戦国末期に筒井順慶・羽柴(豊臣)秀長の郡山城の城下町として栄えました。江戸時代は片桐氏の小泉藩(片桐藩、現・小泉町)の他は水野・松平・本多の各家を経て柳沢家が郡山藩主でした。江戸期より武士の副業から始まった金魚養殖が盛んで、南部の昭和工業団地では昭和40年代(1065~1974年)頃から多数の製造工場が誘致されています。赤膚焼(あかはだやき、陶器)・金魚土鈴等の金魚グッズや“御城之口餅(鶯餅原型説)”・“源九郎餅”等の特産品・名物があり、郡山城等の諸城址・慈光院庭園(国史跡・名勝)・大納言塚(豊臣秀長墓所)等の名所・旧跡や県立民俗博物館が点在する市内には、和菓子店などの老舗が残っています。

1585年創業、豊臣秀長公に連れられ大和郡山へやってきた 本家菊屋

近鉄郡山駅から徒歩6分ほど、郡山駅から徒歩12分ほどの場所にある 本家菊屋。1585年(天正13年)に、豊臣秀吉公の弟・豊臣秀長公に連れられて菊屋治兵衛(きくやじへい)氏が大和国にやってきて、和菓子店を創業したことが始まりです。本家菊屋さんには様々なエピソードがあるのですが、有名なお話の1つが中庭の木から小判が見つかったお話で、その小判を換金し大阪高麗橋の土地を手に入れます。これが戦後の支店第一号店であり、菊屋 大阪高麗橋さんとなります(残念ながら2022年3月15日に閉店)。

また本家菊屋は、鶯餅の元祖というお話も伝わっています(元祖については諸説あり)。ある日豊臣秀吉をもてなすお茶会にお菓子を作るように命ぜられ、その時に粒あん入りのお餅にきな粉をまぶしたものを作り、それを気に入った秀吉が鶯餅と名付けた、とされています。

という、本家菊屋さんからお取り寄せしたものその1、御城之口餅(おしろのくちもち)です。こちらが秀吉が食べた鶯餅の商品名となります。

包装紙を取った状態がこちら。御城之口餅(おしろのくちもち)という名前は、本家菊屋さんがお城を出た1軒目に位置していたことから、この名前が付いたそうです。 こちらが取り出した図。一口大のきな粉餅的な食べ物ですね。 中身はこんな感じ、なのですがピンボケしすぎていてごめんなさい。餡子たっぷりのお餅です。きな粉、餅、餡子、黄金の組み合わせすぎて最高です。
こちらがお取り寄せしたものその2、菊之寿(きくのことぶき)。箱がオシャレです。
こちらは楽天ランキング1位に長期間輝いた白餡入りのおまんじゅうです。 個包装になっているのも嬉しいですね。
こちらが袋から取り出した図です。白餡は白小豆と福白金時の組み合わせだそうです。凄く上品な餡だったのは、この組み合わせから生まれたのですね。

タイトルに書いたのに本文で書けませんでしたが、本家菊屋さんは奈良県最古の和菓子屋さんとなるそうです。既に440年近い歴史って本当にすごいですよね。明治、江戸をさらに遡って安土桃山時代ってびっくりしますよね。関西の中心地からそこまで遠くない場所なので、いつか遊びに行きたいと思っています。

↓豊臣秀吉も食べた御城之口餅(おしろのくちもち)は、楽天でお取り寄せ出来ますよ。

 

———本家菊屋 基本情報———-
〇創業年 1585年創業 / 天正13年創業
〇営業時間
・8:00~18:30
※元旦のみ 定休日
〇住所
奈良県大和郡山市柳1丁目11番地
(公式サイト)⇒ 本家菊屋|奈良県で400年以上続く老舗御菓子司

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