東京 神田 明神下 神田川(創業1805年)

江戸時代の江戸府内からみて神田川(外堀)の外側であったことに由来する千代田区外神田は、江戸時代初期に武蔵国豊島郡芝崎村(現・千代田区大手町)から神田台(現・千代田区神田駿河台)を経て遷座してきた神田神社(神田明神)の鳥居前町として栄え、同神社は東京有数の初詣先であり、その神田祭は日枝神社の山王祭と共に江戸以来の伝統行事です。また台東区秋葉原にかけては家電製品からPC関連・アニメ・ゲームなどのサブカルチャーに至るまでの世界有数の秋葉原電気街が連日賑わっています。近年には秋葉原UDXのような複合型オフィスビルなども生まれている中で老舗の飲食店や食品店が何軒か残っています。

江戸時代のグルメ誌『江戸前大蒲焼番付表』の記載された人気店

明神下 神田川は1805年(文化2年)創業。今から200年ほど前、幕府の賄い方に勤めていた初代・三河屋茂兵衛が当時流行り始めた鰻の蒲焼きに目を付け、現在の万世橋近くで「深川屋」という名の屋台を始めました。
江戸時代にはその鰻屋が400軒以上あったと推測されており、『江戸前大蒲焼番付表』という現代でいう鰻屋に特化した大相撲の番付表の鰻版が発行されていました。その番付の上位にここ「明神下 神田川」が掲載されています。

浴室がある鰻屋さん!?

明神下 神田川の外観はまさに老舗といった感じで、黒塀の佇まいが風格が漂っていました。
お昼時でしたが、幸運なことに個室に案内されることになりました。
普段はもしかしたら予約しないと個室は難しいかもしれないので要予約が必要かと。

個室も老舗の貫禄があり背筋がピンと伸びます。話し声も少し小さくなるほどでした。個室からは立派な中庭も眺めることができます。
私は拝見出来なかったのですが、神田川には浴室があるそうです。と言うのも、昔は市場で買い付けや働いていた人が風呂に入ってから鰻を食べて帰える風習があったとか。浴室はその名残だそうです。

200年以上命と同等に守られ続けている秘伝のタレ

神田川本店のタレはやや辛めが特徴であと味がすっきりしているのは砂糖を使っていないからだそう。
200年の間、戦災や3度の火事も先代から守り抜いてきた秘伝のタレ。そして東日本大震災時も地震で揺れが収まるまで主人はつけダレの入った大きな甕を抱えて守っていたそうです。
そんな秘伝のタレを使った鰻は箸を入れると程よく崩れるくらい柔らかく、ふくよかな味わいが口の中に広がります。

土用の丑の日にうなぎのルーツ?!

文政年間に平賀源内が「土用の丑の日にうなぎ」のキャッチフレーズを考えたのはこの店だと言われています。
今や「土用の丑の日にうなぎ」は一般的に当たり前になりましたが、そのルーツがこの明神下神田川にはあります。
歴史上の文化人も数多く訪れており、文豪・夏目漱石も正岡子規も訪れたのだとか。
夏目漱石の日記に「快晴風強し。十一時頃連雀町に鳥居素川を訪う。弓削田が来ている。三人で神田川へ鰻を食いに行く」と記されています。

200年以上も屋台の時代から注ぎ足し守られ続けられている秘伝のタレを是非味わいに行ってみてはいかがでしょうか?

———-明神下 神田川 基本情報———-
・創業1805年(文化2年)
営業時間
11:30~14:00
17:00~20:00
定休日
日曜・月曜・祝日・第二土曜日

・住所
東京都千代田区外神田2-5-11

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