日本初のバー、神谷バーでデンキブラン / 東京 台東区浅草 1880年創業 (明治13年)

浅草は、都内最古の寺である金龍山浅草寺の門前町として古くから栄えた街。江戸時代には多くの武士・商人や文人墨客などが浅草に集まって江戸文化を育んできました。明治になって六区画(一時期は七区画)の浅草公園となって、六区は劇場…

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恐らく私が最も通っている老舗店”むさしや”で、オムライス&ナポリタン / 東京 新橋 1885年創業 (明治18年)

かつて流れていた汐留川に架かっていた新橋に由来する港区新橋は、1872年(明治5年)に日本で初めて開通した鉄道の起点・新橋駅(後の汐留貨物駅)が開設され発展を遂げました。現在はサラリーマンの街として知られ、多数のオフィス…

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KAT-TUNもやってきた星川製麺 彩の”でっかちゃんラーメン”は、500円で5玉強入る超お得麺!! / 神奈川 川崎市多摩区 1897年創業 (明治30年)

川崎市最北端の多摩区は、区内にJR南武線・武蔵野線や京王電鉄・小田急電鉄の駅が多数設置されていて都心・新宿・渋谷等への交通至便な地域。教育機関が多く存在し、生田地区には明治・専修・日本女子の大学キャンパスが立地していて、…

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水新菜館で、過去最高のあんかけ焼きそばを食べて悶絶する / 東京 浅草橋 1897年創業 (明治30年)

隅田川に合流する神田川に架かる最下流から2番目の橋(最下流は柳橋)の浅草橋に由来する台東区浅草橋。江戸時代には浅草橋南詰に江戸城浅草門が築かれ、橋上は日光・奥州街道が通って通行人で賑わっていました。また、江戸時代から雛人…

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来福亭で、オムライス&メンチカツの神コラボを食べる / 東京 人形町 1904年創業 (明治37年)

江戸時代には後に浅草裏手に移転するまでは吉原遊郭があり、その後は浅草に芝居小屋が集められるまで歌舞伎の中村座・市村座や人形芝居の結城座などがあった中央区日本橋人形町。人形を制作・販売する店が並び、人形遣いが多く住んでいた…

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美濃戸の夜メニューは、1000円以下でお腹いっぱいになれる / 神奈川 川崎市川崎区 1914年創業 (大正3年)

およそ400年前に東海道五十三次2番目の川崎宿が設置され賑わった川崎市川崎区。およそ900年前に建立され、今も関東の代表的な初詣先の一つである川崎大師(平間寺)の門前町としても永らく栄えたこの地域には、大師周辺及び旧東海…

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朝松庵で、元祖カレー南ばんを食べる。はじめてだけど、懐かしい / 東京 上目黒 1892年創業 (明治25年)

目黒は、少なくとも鎌倉時代には存在していた地名であるものの、その名の由来は諸説あり、分からなくなってしまっているそう。そんな目黒区の北部に上目黒の老舗店にお伺いしました。 1892年創業、カレー南ばん・カレー丼を開発した…

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華香亭本店で、ラーメンと餃子。横浜の味だね。 / 神奈川 横浜・中区 1912年創業 (大正元年)

行政機関や企業が集積する横浜市中区は、山下公園・港の見える丘公園・横浜中華街・元町・伊勢佐木町などの繁華街や行楽・観光地を擁す横浜の中心地の一つ。関内・桜木町地区を中心に老舗の飲食店・和洋菓子店・食品店などが数多く点在し…

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米子そばと称される林そば屋の天ぷらそばは、米子らしい味がした / 鳥取 米子 1920年創業 (大正9年)

鳥取県米子市は、1601年(慶長6年)に中村一忠が11歳で伯耆国17万5千石領主となって翌年の米子城築城で城下町となり、同14年一忠急逝後は加藤氏を経て池田氏が治めました。米子の地名由来には、賀茂神社境内の“よなぐ井(米…

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奇珍樓 (きちんろう) の、竹ノ子ソバのメンマの太さに驚く / 神奈川 横浜 1917年創業 (大正6年)

行政機関や企業が集積する横浜市中区は、山下公園・港の見える丘公園・横浜中華街・元町・伊勢佐木町などの繁華街や行楽・観光地を擁す横浜の中心地の一つ。関内・桜木町地区を中心に老舗の飲食店・和洋菓子店・食品店などが数多く点在し…

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高崎の栄寿亭で、たれカツ丼の美味しさと安さにヤラレて来た話 / 群馬 高崎 1919年創業 (大正8年)

群馬県高崎市は古くから交通の要衝で、江戸時代は高崎藩城下町として、中山道の大宿場町として、物資集散地・商業地として栄えました。高崎は、旧和田城跡に築城(高崎城)した井伊直政が、信頼する白庵禅師が推す“成功高大”の意味の“…

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たかをや、で食べた”だんご汁”と”とり天”は、最高の郷土の味! / 大分 大分市 1920年創業 (大正9年)

大分県庁所在地の大分市は、古くは豊後国(ぶんごのくに)の国府が置かれ“府内”と呼ばれていました。大分の地名は古来国府だった大分郡(おおきたのこおり)が転訛したと言われ、意味には多き田(狭く入り組む地形の多くの田)等の複数…

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